1972年にトヨタ自動車に入社、のちに中国事務所総代表を務めた服部悦雄氏は、人呼んで「低迷していたトヨタの中国市場を大転換させた立役者」であり、「トヨタを世界一にした社長、奥田碩を誰よりも知る男」。そして何より「豊田家の御曹司、豊田章男を社長にした男」なのだという。2018年に同社を去った服部氏は今、何を思うのか。

 ここでは『トヨタ 中国の怪物』(児玉博 著、文藝春秋)を一部抜粋して紹介。奥田碩と豊田章男のふたりに側近として仕えた男が「サラリーマンの人生は虚しい」と語った理由は――。(全3回の2回目/続きを読む)

トヨタ自動車の11代目社長(現会長)の豊田章男氏 ©時事通信社

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「人生観変わっちゃいましたよ、この歳で」

 服部から連絡があったのは、初対面からまだ1週間もたっていなかった。場所は前回と同じ温泉施設「ラクーア」だった。時間は夕方の午後5時。

 この日もラクーアは、かなりの人で賑わっていた。服部は、薄茶色の館内着を着て待っていた。テーブルの上にはいつもの焼酎のボトルが置かれていた。2回目ということもあるのだろう、服部の表情は前回よりもゆったりとし、和やかな雰囲気が漂っていた。服部は背広姿の筆者を見つけると、右手を上げて、

「児玉さーん、ここだよ、ここだよ」

 と、元気な声を張り上げた。なにか嬉しいことでもあったのだろうか、筆者が近づくと、やや大きな声で、

「ここに背広姿で来るのは児玉さんぐらいだよ。あなたはお酒も飲まないし、人生、なにが愉しみなの?」

 と冷やかした。

「服部さん、楽しそうじゃないですか?」

 こう声をかけると、意外な答えが返ってきた。

「別に楽しくはないよ。むしろね、僕はね、児玉さんからもらった本を読んでね、人生観変わっちゃいましたよ、この歳で」

『トヨタ 中国の怪物』(児玉博 著、文藝春秋)

服部が示した共感

 初対面の時、筆者は自己紹介がわりに、過去に上梓した2冊を手渡していた。1冊は、1代でセゾングループを築き上げ、作家としてまた詩人としても名を成した、堤清二への最後のインタビューを元にした『堤清二 罪と業 最後の「告白」』(文藝春秋)。もう1冊の『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』(小学館)は、名門企業「東芝」を瀕死の淵に追いやった経営者として批判され、失意のうちにこの世を去った、西田厚聰の評伝だった。

「西田社長には中国で会ったことがある」

 服部は、特に西田の物語に強く反応したようだった。

 同じ中途採用のサラリーマンであること、そして何より、西田の異色の経歴に服部は強く共感したのかもしれない。