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「ジィと病院に行かなきゃかもだから!」二人でベッドの両脇に立った。弟の携帯も何回か鳴らしたけどつながらず留守電を残し、ヘルパーさんに、隣の母屋2階で就寝中の母を起こしに行ってとお願いした〉

 征良さんは父の傍らに寄り添い、励まし続けた。

「もう……がんばれない? だめ?……」

〈指の間からさらさら砂が落ちるようにみるみる呼吸がしずかになっていくのをみて、一度は父の右肩をさすりながら「パパ、がんばろうね、がんばって、これも乗り越えようね」と言って、はっとした。この十数年こんなに毎日ずっと、ずっと頑張っているのに、もっとがんばって、なんて、私には言えない。そう思ったら、喉が詰まってしまった。

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「もう……がんばれない? だめ?……」「パパ大丈夫だよ。ここにいるよ、びーも、私もいるよ」それしか、言えなかった。ずっと肩を撫でながら、涙を止められなかった〉

1年ほど前に父娘孫の3人で(征良さん提供)

魂の次の世界へとトランジットしていった

〈まったく、呼吸が乱れたり、苦しそうな様子もなく、そのまま、すぅっと眠っていったようだった。時間が永遠に感じられた。父の身体の機能がゆるやかに止まっていくまでの音のない時間は、壮大で、完璧で、しずかで厳かだった。あたたかく柔らかな気持ちに包まれながら、沈みゆく夕陽みたいだった。(略)

 しずかな雪の朝を父は選んだんだ、と思う。救急隊が来た時にはもうAEDの電気ショックをしても、無駄な苦しみを与えるだけとのことだった。一本の線しか見えない心電図だけをみせてもらい、御礼を言って頭を下げた。

 呼吸が苦しくなったらどうしよう。痛みがあったらどうしよう。頭の奥でずっと恐れていた。だけれども、父は平和そのものを体現するみたいに、雄大な夕陽のように本当に美しく完璧な静けさの中で、魂の次の世界へとトランジットしていった〉

「父の娘」を自認する小澤征良さんの手記「父・小澤征爾の娘として」には、サンフランシスコで暮らした幼い日の記憶に始まり、2009年クリスマスイブのがん宣告、そして闘病を続けながらのボストン行、ウィーン・フィルとの共演、盟友ジョン・ウィリアムズとの再会、国際宇宙ステーションへ生演奏を届けたOne Earth Missionの指揮……等々、父と過ごしたかけがえのない日々が綴られている。

 全23ページにわたる本文は、6月10日発売の月刊「文藝春秋」7月号および「文藝春秋 電子版」(同月9日公開)に掲載されている。

文藝春秋

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父・小澤征爾の娘として