世界的な指揮者、小澤征爾が亡くなってから4カ月。長女の征良さんが月刊誌「文藝春秋」に手記を寄せ、最愛の父との別れの日を振り返った。

小澤征爾さんと娘の征良さん。ボストン響音楽監督就任の頃(征良さん提供)

大雪の日、別れは突然やってきた

〈2月5日はめずらしく大雪の夜だった。父も私も息子のびーちゃんも雪が好き、三人ともスキーが大好きで、「やったー。東京にいるのに奥志賀の雪山みたい。ラッキー!」とか「血液検査のデータがすごくよくなってきて、めでたい! パパすごい! よかったーおめでとー」と、看護師さんたちと、私はハイファイブしていた。学校から翌日は雪で休校との連絡もあって、息子のテンションも高くいつもより遅い時間まで、がやがや、わいわい、父のベッドの近くではしゃいでいた。

 父は嬉しそうな顔で、おだやかに目を瞑っていた。「I love you!」といつものように寝る前に手をさすったら、私の指をぎゅっと握り返してくれた。目を瞑りながら「わかっているよ」と、そっと合図してくれた〉

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 幸福に満ちた夜。だが翌朝、別れは突然やってきた。

ゆっくりと呼吸や脈拍のスピードが落ちていく

〈大雪の翌2月6日朝、いつもなら息子は早朝のスクールバスに乗っている時間――しずかな休校の朝で、私も息子もすやすや寝ていた。(略)

 半分起きている状態の時に、看護師さんから声をかけられた。「なに?? 何が、どうしたの?」私は飛び起きた。父のいる寝室と私の寝室を隔てているのはたった一枚の、半開きのドアだ。慌てて父のベッド脇にいくと、父はいつものように寝ているのに、血の気が引いた真っ白い顔だった。見たことのない、白さだった。血圧が5時には普通だったのにいま測ったら低い、と説明される間にも、ゆっくりと呼吸や脈拍のスピードが落ちていく。私は震える手で往診医や病院循環器科の先生たちの携帯を鳴らし、救急車を呼んだ。ただならぬ私の様子に息子もすぐにとび起きて、電話しながらジーンズを穿く私をみて「なんでそんなに慌ててるの??」とびっくりしていた。