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脊山 そうですね。当時はADと付き合ってましたし。私はIT社長さんとか野球選手とかには全く興味なくて。家族が医者だから医者に憧れもない。

 ブランド物とか1個も持ってなかったですし、その意味ではちょっと変わっている方だったかもしれません。ファッションも制作のお兄さんと変わらないような格好で、Tシャツ着て、パンツはいて、カバンを斜めがけしてスニーカーというのが好きだったので。

 だけど当時女子アナは化粧して、髪の毛を長くしてと言われて、そういう世界観のアナウンサーにならなきゃみたいな感じでやってました。茶髪にして、マツエクして、髪も巻いてって。それはそれで楽しかったなって思います。ただ、もともと中高と全然お化粧をしないで生きてきたので、今はそこに戻ってきちゃった感じです。

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©杉山秀樹/文藝春秋

日テレを退社後、ホリプロに所属することに

ーー辞めたのはいつですか。

脊山 「Oha!4」を卒業して、3年半くらい。29歳のころですね。私のことを気に入ってくれていた当時の上司が外れることになって。その時には担当する番組もなくなっていたので、トライするにはちょうどいい年齢だと思って日テレを辞めて、「アーキテクト」という会社に入りました。

 アナウンサーとしてのイメージを大事にしてくれる真面目な事務所で、フリーになった当初はTOKYO MXの情報番組であったり、バラエティーというよりは真面目な番組にアナウンサーの立ち位置で出させていただいていたんですよ。

 かわいがってくれていた広告代理店の社長が、ホリプロの社長や役員と仲が良くて、ホリプロに行けばもっといろんな番組に出られるよとなって、紹介していただいてホリプロに入りました。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。