日本テレビの元アナウンサーで、フリーアナウンサー転身後の2014年に“アイドルすぎる33歳”としてグラビアデビューしたことでも話題となった脊山麻理子さん(44)。父は東大の名誉教授、兄2人は医者というエリート一家に生まれ、映画やカメラが好きなサブカル系女子だった彼女はなぜ女子アナになったのか。話を聞いた。(全3回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
世間のイメージと違い“お嬢様”ではなかった
――まず脊山さんの小さい頃の話をお聞きしたいんですが、お父さんは東京大学の名誉教授ですね。
脊山麻理子さん(以下、脊山) そうです。栄養学の教授です。その後、お茶の水女子大学の教授と、名古屋の椙山女学園大学の教授、あと医学中央雑誌刊行会の理事長をしていました。
――世間にはそれだけで脊山さんはお嬢様とイメージされると思いますが、過去の取材ではそのことについて否定していますね。
脊山 東大は国立大学なので、教授と言ってもお金持ちではないんです。開業されている医師の方や起業家の社長さんほど裕福ではないという意味で「お嬢様ではない」と言ってました。
家も都営アパートで、11個上と8個上の兄がいたんですが、3人とも同じ部屋。一番のご馳走は唐揚げだし。父は15年ぐらい同じ車に乗っているし。
中学校から芸能事務所に所属
――お兄さんお2人も医師です。お父さん、お兄さんが医者ですが、脊山さん自身が医者になろうと思ったことはあったんですか。
脊山 兄2人はスパルタで育てられていて、模試でも全国1位を取っていたんです。私は2人が生まれてから10年くらいたって生まれたこともあったし、お茶の水女子大学附属幼稚園にも受かって、そこから受験もないので、母もかわいがって育てようという感じでした。だから全然勉強しろというプレッシャーがなくて。
私自身、勉強が得意だとは思っていなくて。どちらかと言うと芸術系が得意で、ピアノをやったりバレエをやったり、絵を描いたり、文章を書いたりしてました。あと街でよくスカウトされていて。中学校の時には事務所に入ってレッスンにも行かせてもらっていました。