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「実は2020年から六本木で」元日テレアナの脊山麻理子(44)が語る、“バーのママ”を始めた理由「お客さんはテレビ関係、不動産関係、大学生からスポーツ選手…」

脊山麻理子さんインタビュー#3

2024/06/15

genre : エンタメ, 芸能

note

 日本テレビの元アナウンサーで、フリーアナウンサー転身後の2014年に“アイドルすぎる33歳”としてグラビアデビューしたことでも話題となった脊山麻理子さん(44)。なぜ局アナ出身としては異例の水着の仕事を選んだのか。グラビアを経ての心境の変化、さらに六本木の会員制バーのママをしていることや今後やりたいことについても明かしてくれた。(全3回の3回目/最初から読む

脊山麻理子さん ©杉山秀樹/文藝春秋

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30代で王道グラビアに挑戦

――ホリプロに所属した1年後の2014年1月に週刊プレイボーイでグラビアデビューします。キー局の元アナウンサーが水着になることは珍しく話題となりました。そもそもどんな経緯だったんですか。

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脊山 ホリプロのマネージャーが佐野ひなこちゃんを担当している方で、そして私がアナウンサーになった時に「グラビアアイドルがアナウンサーになった」と記事を書いた週刊プレイボーイの編集者さんがたまたまホリプロの担当で。「ホリプロに入ったのだからグラビアをやってほしい」と言われたのがきっかけです。

 当時まだAKB48だったり10代の子のグラビアが主流で、30代くらいになると壇蜜さんのような世界観のグラビアしかなかったんです。でも童顔の私が30代でも超明るく、清純な王道グラビアをやるのは新しいと思ってやりました。

――女性にとって水着になることは抵抗感があると思います。脊山さんの場合は高校生の頃の週プレのグラビアでは水着にはなっていませんが、心境の変化はあったんですか。

脊山 高校生の時に水着になるのが嫌だと思ったのは、まだ何者でもない私が水着になることは、ただ消費される感じがしたからです。けれどアナウンサーになった私、脊山麻理子としてのグラビアの挑戦は価値がある。

 若い女の子ほど価値がある社会で、33歳の私が女の子として水着を着る。「おばさんなんです。すいません」という感じではなく、いくつになっても、女性が女性として輝いていいんだ、かわいくいたっていいよねってグラビアを通して伝えられると思ったんです。