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――芸能事務所に入っていたんですね。どこですか。

脊山 スターダストプロモーションです。歌や演技のレッスンをしていました。ただアメリカに1年留学することが決まったのでスターダストは辞めました。

 アメリカから帰ってきて渋谷の109で声を掛けられたのが、「渋谷109広告モデルコンテスト」だったんです。そのコンテストでグランプリになったんですが、主催がオスカープロモーションだったので、その後はオスカーに入ってレッスンを受けていました。レッスンには当時、菊川怜さんや米倉涼子さんがいました。

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履歴書を持って映画監督に会いに行ったことも

――学校ではどんな子だったんですか。

脊山 留学から戻ると1学年下に編入したので、周りは1歳下の子たち。学年も違うし、芸能活動もしていたので“宇宙人”みたいな感じでした。

 漫画オタクで、マンガ研究会と美術部に入っていたので、漫画を読むか、あと美術部の先生と仲良くなって、映画監督に会いに行ったりしてました。

――映画監督はどなたですか。

脊山 あがた森魚さんです。あがたさんの映画「港のロキシー」が当時公開されていて、学校の先生と見に行ったんです。私は自分の履歴書を持っていって、あがたさんに「一緒に映画作りたいんです」って言いました。そしたら、あがたさんが喜んでくれて、うちの別荘に来て楽器を弾いてくれたり、動画を撮ってくれたりしました。

――芸能活動では1999年に週刊プレイボーイにグラビアが掲載されます。「PURE」とキャッチコピーがついていました。

脊山 グラビアをやるという話にはなったんですが、水着は嫌で服でグラビアをやらせてもらいました。