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 これは2年前のロシア軍によるウクライナ侵攻をうけ、昨年同様、離島防衛と奪還を主眼としたより実戦的かつ専門性を高めた訓練になったというわけである。普通に撃って当然のように命中しとるように見えても、実際の標的はポップアップ(飛び上がって、命中したら倒れる)式等、位置や種類も事前に射手に知らされていないという昨年までは想像もできんかった緊張感と、実戦並みの集中力が試された演習となった。

©宮嶋茂樹

なぜ過酷な訓練が必要とされるのか

 これは強力な火砲を実際に射撃するという相当な危険を伴う演習でもある。それを躊躇なく使用するには相当過酷な訓練を積む必要があるのも当然想像できる。本演習の4日後、静岡県と東富士演習場のお隣、山梨県北富士演習場で爆発した手りゅう弾の破片が、訓練中の隊員の首に当たり死亡している。

 本演習では手りゅう弾よりはるかに殺傷力のある155mm榴弾砲等の実弾が惜しげもなく射撃されている。事故を恐れ、萎縮し、訓練をやめてしもうては国民を守るという義務を果たせんやないか。命のやり取りに関わる仕事に就く以上、危険で過酷な訓練も必要であろう。そんな訓練や恐怖に耐えてこそ、得られる自信がいざ被災地や、幸いにも戦後いまだ日本は巻き込まれていないが戦渦で敵を前にしたときにひるまず任務を遂行させるはずである。

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©宮嶋茂樹

 精神論に傾注したシゴキの類のような不必要な訓練は論外やが、10m足らずの距離で実際の手りゅう弾の爆発を経験させることにより、その威力と殺傷力を肌で感じさせる必要性はある。安全を保ちながら取り扱い、時には敵を殺傷するために適切に使用する責任感と能力を醸成するためにも、この総火演のような演習は必須なのである。