戦没者の尊厳を守るために
もともとボーイスカウトのリーダーとして遺骨収集に携わったのがきっかけだという。地道な作業だがやめたいと思ったことはない。それはなぜか?
「こうやって掘っていっても、遺骨が見つからなくても、亡くなった人により近づこうとすることが慰霊っていう行為になるんだろうな」
これを具志堅さんは「観念的な慰霊じゃなくて、行動的な慰霊」と表現する。その姿に触発されたのか、監督で沖縄出身の奥間勝也さんも、沖縄戦で亡くなった祖母の妹の足跡をたどり始める。
古い写真を頼りに高齢の親族に話を聞く。戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を訪れる。そんな営みが淡々と描かれるが、その静けさをかき乱すシーンが突如現れる。
辺野古の埋め立て工事だ。物々しい警備と座り込みをする人々の強制排除、ダンプカーの列で空気は一変する。
米軍普天間飛行場の移設先として、日本政府は名護市辺野古での代替施設の建設を計画し、周辺海域の埋め立てを進めている。これに対し沖縄県は基地負担の軽減につながらないと抗議し、県民投票でも反対の民意が示されてきた。こうした経緯は繰り返し報道されている。
一方、具志堅さんは違う視点から訴えている。
「私たちが要求していることは、米軍基地に賛成とか反対とかいうそれ以前の人道上の問題です。戦没者の尊厳を守るための人道上の問題だと思って何としても止めたいんです」
官僚は「のれんに腕押し」
激戦地の本島南部はどこを掘っても戦没者の遺骨が出てくる。その土砂を埋め立てに使う計画だ。工事を進める防衛省との交渉で具志堅さんは計画をやめるよう繰り返し求めた。
しかし防衛省の担当者は「ご遺骨の問題は大変重要であると考えております」と言いながら、計画については「現時点で確定しておりません」と繰り返すだけ。決して「やめる」とは言わない。
この「のれんに腕押し」感覚は私にも覚えがある。森友学園への国有地値引き問題。取引文書を求められても「廃棄した」と言い張る財務官僚。その陰で行われた公文書改ざん。事件の遺族に「お悔やみ」は口にしても真相のわかる資料は決して出さない。なんて似てるんだろう。