この映画の主人公は哀川翔ではない
――オリジナル版で哀川翔さん演じる新島という男は、何があろうと動じない、どこか超越した雰囲気の人物です。それが、今回柴咲さんが演じた新島小夜子という女性は、最初こそ同じようにつねに冷静な人に見えますが、段々とそれが揺らいでいきます。途中、彼女が敵に反撃され窮地に陥ってしまい、ダミアン・ボナール演じるアルベールに助けられる場面では、彼女は決して無敵な人ではないんだとわかり、ハッとしました。
黒沢 劇的にそれを表現しようと思ったわけではないんですが、本来、小夜子やアルベールがやっているのは非常に危うい行為なのだ、ということは、しかるべきタイミングで見せた方がいいなと考えていました。おっしゃるように、この映画の主人公は哀川翔ではないので、丸腰で向かえば当然自分たちの身も危険に晒される。そこはしっかり見せたかった。
付け加えていうと、哀川さん演じる新島と同じように、小夜子もまた何を考えているのかわからず機械的に物事を進めていく怪しい人物ですが、ごくたまに、すごく憎しみに満ちた表情を見せます。何か内側から湧き上がってくるものをぐっと抑えている瞬間が時々あり、ナイフを握って刺そうとしたりする。今回はそういう彼女の内面の何かからくるものを表現したいなとは思っていました。それが前回との違いにもなるだろうと。
――それは、演じる俳優が変わったことで生じた違いなんでしょうか?
黒沢 やはりせっかくリメイクをするのだから、前回まったく手をつけなかったところにも踏み出して広げていきたい、という欲望があったように思います。それが、柴咲さんという女性に主人公を演じてもらう試みであり、時々垣間見える主人公の人間臭さ、ということにつながっていったんだと思います。
――オリジナルと同じ部分とまったく違う部分とが奇妙に同居し合っているのがおもしろいですね。
黒沢 そもそもセルフリメイク自体にあまり例がないですしね。こう言っていいのかわかりませんが、オリジナルが大好きな方は見ないほうがいいかもしれません(笑)。「なんで哀川翔じゃないの!?」「あそこがああなっちゃうの??」といろいろ文句のある人もいるでしょうが、基本的には、オリジナルのことを何も知らない人に見せるつもりでつくっていますから。
一歩外に出れば、そこには否定しがたくパリの街が映る
――先ほど、フランスで撮れば当然オリジナルとは別のものになる、とおっしゃっていましたが、冒頭、柴咲さんが道の真ん中に佇む場面を見た瞬間、ああここは日本とはまったく違う場所だとハッとしました。
黒沢 それが映画という表現のおもしろさですよね。室内に入ってしまうとどこだかわからないような場所になりますが、一歩外に出れば、そこには否定しがたくパリの街が映る。他のスタッフはみなフランス人ですから何も気にせず撮っていましたが、僕と柴咲さんは、普通の街角に立つだけでも、「ああ、これパリだよね」と密かに興奮している、という現場でした。
――パリの街を、暗く不穏な場所として映すのは難しかったんじゃないでしょうか?
黒沢 撮影監督のアレクシ・カヴィルシーヌの存在はとても大きかったですね。前回僕がフランスで撮った『ダゲレオタイプの女』も一緒にやって気心が知れた人なので、この作品の雰囲気や僕の好みをよく理解して、パリのなんでもないような場所でもミステリアスな感じに撮ってくれました。
――オリジナル版を彷彿とさせる場所もたくさん出てきます。ロケーション場所を見つけてきたスタッフの方々も、黒沢さんの好みをよくわかっていらしたんでしょうね。
黒沢 そうですね。ただ場所に関しては、僕もさすがにパリならどこでもいいです、とは鷹揚にはなれなくて、「もうちょっとこういうところはないですか?」とずいぶん探してもらいました。
――マチュー・アマルリックやグレゴワール・コランが監禁される不気味な倉庫、あれはパリ郊外ですか?
黒沢 ええ、パリから車で30分くらいで行ける場所にある閉鎖されたお菓子工場で、本当に巨大なところでした。