バリバリの営業マンやカリスマアーティストにこのタイプの愛用者が多いのは医学界ではよく知られた事実でもある。
日常生活を送らせるには、薬を与えるしかなかった
母の場合もまさにそうで、注射が効いている時間はすこぶる元気だった。しかし一旦薬が切れてくると揺り戻しがひどく、みるみる顔つきが暗くなり口数も減る。家族ですら声をかけるのも躊躇(ためら)われるような負のオーラに覆われ、たまに口を開けば、
「死にたい」
だの、
「もうどうでもいいや……」
だの、聞いているほうまで落ち込むようなセリフしか出てこなくなるのだ。
これでは家庭内の通常の会話も成り立たない。学校からの連絡事項や、塾の費用や部費など必要なお金の相談もまったくできない状態になってしまう。すべての機能がシャットダウンする。
これにはわたしも父もお手上げで、なんとか日常生活を送らせる方法を模索した。しかしそのための手段はたったひとつ、薬を与えるほかになかった。
高校入学後、勉強に逃げ込み現実から目を逸らす
注射を打てばその途端、目の輝きが戻る。別人のように口角も上がり、頰の皮膚にもイキイキとつやが出る。
もとから頭の悪い人ではなかったのが、薬がキマるとより冴(さ)えた。その決断力や思いっきりのよさはそのへんの勝負師顔負けの太っ腹なところを見せ、財テクなどにはそれが好結果を生み出したのだから皮肉なものだ。この時期、彼女は株式に興味を持ち、素人ながら相当な利益を上げたらしく、それを親戚に自慢げに語っていた。
こんな状態の家庭だったが、わたしはちょうど高校に入学したくらいの時期。うまい具合に勉強に逃げ込み、現実から少し目を逸(そ)らして暮らすことができた。
家の内側に目を向けると、使いまわしの注射器や血のついた服が散乱し、気分次第でころころと人格が変わる母がいた。そんな気が変になりそうなものばかりに囲まれていたので、受験勉強が目の前に存在してくれたおかげでかえって気が紛れて助かった。
この頃になると勉強内容も相当に難しくなってきていたから、かつてあれだけ教育ママだった母ももう口出しすることもなかった。勉強していれば、わたしの邪魔をしに来ることもなかった。
そうしてわたしは遁(のが)れるように医学部に滑り込んだ。