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まるで子供の喧嘩の顛末

 たしかにルールどおりにやってもイチャモンつけられるのでは、怖くて国立市内ではとても開発行為ができない。国分寺や立川でできることが、両駅の間にあって両方の名から一字ずつを取って付けたやや安直にみえる名前の街「国立」ではできない。つまり放置しておこうとなる。もちろんそういう状態であることに多くの市民が賛同しているのなら、条例を改正して「絶対に開発をさせない」と明記する必要があるだろう。

 曖昧で及び腰の行政に対して住民も今回の事態は「鳩に豆鉄砲」だ。たしかに景観を守ることには一定の理屈がある。明文化されたルールだけに則るのではなく、地域の個別の都合も考えなければならない。事業者側に実情を丁寧に伝え、互いに協調して開発を行っていくことは大切であるが、今回はまるで子供の喧嘩の顛末のようなものだ。

 気に入らないから文句を言っていたら、「だったらいいよ。やらねえよ。やめたやめた」と相手がおもちゃを放り出して出て行ってしまったような光景だ。すると周りからは、「あんたがあんまりひどいこと言うからだ。いじめたんだろ」と見られて困惑しているさまが、ニュース等の映像から窺い知れる。

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 果てには住民の中に事業者の触れてほしくない事案を握っている者がいて、事業者が脅されて、やむなく解体撤去に至ったのでは、などという憶測までが出る始末だ。

国立市は「住みづらい街」という印象に?

 最後の関係者はこれを見つめる(4)一般消費者だ。なんとなく国立市は「住みづらい街」だと感じた人が多かったのではないだろうか。反対のあったマンションに引っ越して来たら、近所から無視されるのではないか。子供がいじめられるのではないか、といった疑念だ。仮に将来新築マンションが市内に登場したとしても、こうした噂を気にして誰も食指を動かさない。そうした事態を想定してますます街は、人の新陳代謝がすすまなくなってしまうのではないだろうか。まっとうに生活している市民にとって、こうした悪評がたつのもずいぶん迷惑な話であろう。

 本当の理由(積水ハウスは「景観への影響」と言っているが)はやはりわからない。だが今回の事案はある種の分断であり、無用な対立であり、結果として誰も納得せず、利得もない、なんともしょうもない出来事であったことだけが印象に残る、お粗末なドタバタ劇である。