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田嶋 『笑っていいとも!』は生放送でしたが、『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)は録画なので編集がありました。女の問題に関しては、私がいつもたけしさんを言い負かしていたのに、オンエアーを見ると、私が言い負かされた形になっている。要するに、私が言い負かしても、たけしさんの言葉で終わると、たけしさんが正しくなってしまうという構図です。

和田 私達はテレビが作った男性が勝つ世界を見せられ、「これが正しいんだ」と思わされてきたんだと今なら分かります。

田嶋 フェミニストだって、私がテレビに出た時に「フェミニズムを笑いものにした」って批判してきたんですよ。みんなもテレビの世界を知らなかった。

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和田 一匹狼で戦ってきた?

田嶋 そう、いつも1人。つるむことが苦手。歩調が合わない。どうしようもない。しゃべるのも、歩くのも、食べるのも早い。原稿は遅い(笑)。

田嶋陽子を形作った、「ヤングケアラー」時代

 岡山県に生まれた田嶋さんは、父親が戦争から戻ると静岡県沼津市に家族3人で暮らした。沼津西高という県立の女子校(当時)を卒業しているが、なんと偶然にも私は沼津に育ち、同じ高校に通った。同郷の先輩の、後ろ姿が見えるようだ。

田嶋 私が小学校に入る前から高校時代まで、母が長いこと脊椎カリエスっていう、結核菌が脊椎へ感染する当時は治療が難しい病気を患っていてね。主に父が看病をしていたけど、私も今でいうヤングケアラーだったの。私は母の病気を治したくて外科医になる!と決めていた。

 なのに、私が男の子より試験の成績がいいと、学校の先生は男の子の味方をするわけ。「あいつはあの日体調が悪かった」「あいつはやればできるけど、試験をバカにしているから」と。挙げ句の果てに、「女はメンスがきたら終わりだよ」って。女の子はメンスが来たら、嫁に行って子どもを産む人生しかないってこと。

和田 ひどい。すごく傷つきます。

田嶋 全女性の人権を否定してるよね。それでも私は希望を捨てず、沼津にある共学の進学校を目指したけど、父親の反対に遭って、当時は女子校だった西高に入ったの。高校時代は図書室にこもって世界文学全集を、モーパッサンからゾラ、トーマス・マン、ドストエフスキー、トルストイと片っ端から読んだ。ところがどれを読んでも女の人生は全部惨めに終わっていた。

和田 あの図書室で、それに気がついたんですね。