イスラエルのナザレ近郊で発見された乳歯から、ホモサピエンスと違うDNAが見つかった。時代的にイエス・キリストの乳歯であってもおかしくない。世紀の大発見に世界中で宗教ブームがわき起こる。その一方、伊豆諸島の青ヶ島では源為朝の鬼退治伝説をめぐり、ある事件が起きていた。
長いブランクを経て発表された本岡類『聖乳歯の迷宮』(2023年11月刊)は、2000年の時空を超えた壮大なスケールの伝奇ミステリーだ。
◆◆◆
19年ぶりのミステリー新作。キリストの乳歯が見つかったなら!?
「小説としては16年ぶり、ミステリーに限定すると19年ぶりの新作になりました。キリストが実際にいたのかどうか、いろいろな論争があります。実在を証明する明確な証拠があったら面白かろうと考えました。キリストは磔刑で殺された後に復活し、天に召されたわけですから遺骨は残っていない。そこで思いついたのがキリストの乳歯が残されていたらというアイデアです。
中東では遺跡が見つかるとキリストがらみではないかと期待され、この小説の中でも描いたように、キリスト教関係の団体が援助に乗り出してくるようです。このアイデアを思いついたことがキーになり、すでに半分以上完成したような感じがしました。これと保元の乱で敗れて伊豆大島に流された源為朝の伝説を結びつけ、それからは物語がどんどん転がっていきました。あとは二つのアイデアに見合うような事象を見つけてくればいいわけで、それほど苦労せずに完成に至りました。キリストがらみのフィクションはたくさんありますが、『乳歯』を思いついた人は誰もいないのでは。そのことは幸運だったと思います。イスラエルに行くのは無理でしたが、青ヶ島の取材は楽しかった」
〈キリストの乳歯〉発見により、教会に足を運ぶ信者が激増、沈滞気味だった既存の宗教が盛り返すだけではなく、宗教ブームに乗じたカルト団体にも信者が集まり、社会問題になっていく。〈キリストの乳歯〉というたった一つのアイテムが、世界中に大きな影響を与えてしまう。伝奇的な興趣に加えその危うさが描かれるのも本書の魅力である。
「さまざまな流行やトレンドに操られる人がいます。それを画策し、その結果を見てほくそ笑んでいる者もいます。本書のような描き方ができたのは、ドナルド・トランプの存在が大きかった。たぶん彼は、自分でも大統領になれるとは思っていなかったでしょう。そんな人物が思ったことをなんでも命じて、世界を動かしうる権力を手に入れてしまった。トランプのような者が実際にいなければ、本書の背景にリアリティが与えられなかったかもしれません」