この春、放送作家業から引退した鈴木おさむさん。プライベートでも鈴木さんと交流のある岡村靖幸さんが、伝説のバラエティ番組となった『SMAPxSMAP』の裏側や、テレビ史に残る「謝罪放送」の内幕について聞きました。
2024年6月20日(木)発売の『週刊文春WOMAN 2024夏号』より一部を抜粋し、掲載します。
SMAPの立役者は、“「東映まんがまつり」みたいな人”
岡村 90年代から2000年代のテレビは完全にSMAPやダウンタウンが中心だった気がするんです。中でもSMAPは、歌だけじゃなく、演技もできる、コントもできる、バラエティのMCもできる、アイドルの形をガラッと変えた。ブレーンとして関わっていたおさむさんの力もあるけれど、おさむさんを引き入れた、マネージャーの飯島三智さんの直感力がすごかったんだろうと『最後のテレビ論』(文藝春秋)を読んですごく思ったんです。飯島さんはどんな方ですか?
鈴木 「東映まんがまつり」みたいな人(笑)。みんなが見たいものを見せて喜ばせる、楽しませるという意味で。そして、岡村さんも言うように、それまでのアイドルがやらなかったことを積極的にやらせた。光GENJI以降、90年代になるとアイドルがダサいと言われる時代になったんです。
そこから、バラエティでコントをやったり、音楽面ではクラブミュージックに傾倒したり、『an・an』の「抱かれたい男」特集に出てみたり。アイドルとは離れたところにあるものをどんどん取り入れ、それを巧みに掛け算することで世の中をわくわくさせていった。その手腕がすごかったんです。
岡村 そんなSMAPとともに『スマスマ』という番組自体もバケモノになっていって。高倉健さんが出るとか、マイケル・ジャクソンが出るとか、番組の格がぐんぐん上がっていった。目の当たりにしてどう感じてました?
鈴木 でも番組が始まる前は、いろんな人に「当たらないよ」ってすごく言われたんですよ。
『スマスマ』って96年4月から始まったんですが、その前の時間帯は「月9」で、木村くんと山口智子さんの『ロングバケーション』。視聴率30%越えのドラマだったけれど、ドラマが終了したら数字は下がると言われたんです。でも下がらなかった。森且行くんがSMAPを脱退することになったときも、彼がいなくなったら絶対ヤバいと言われたんです。でも逆にどんどん上がっていった。
そして、高倉健さんが出たのが97年の秋なんですが、そうなってくると、たかがアイドルの番組とバカにしてた人たちが無視できなくなってくる。中でも男の人たちが観てくれるようになったのはデカかった。これまでのアイドルとはまったく違うと、世間の評価もガラッと変わりましたから。