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この病気の難しさを、総合南東北病院で長年脳外科医をやってきた渡邉一夫は「この病気はどんなに上手に手術をしても治せない」と表現した。

しかし、千葉大の医師、岩立は、いつももしかしたら治せるかもしれないと思って手術に臨むことにしている。

腫瘍摘出に成功

桂は骨開頭した状態で、言語聴覚士が示したカードを30語、声に出して読んでいった。

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「まくら」
「ぶらんこ」
「ふね」
「ぼうし」
「もも」

と順調に読んでいたカードを突然読めなくなったところは言語野にかかっている。

「……」

このようにして、14時38分には、切除できる腫瘍の範囲がわかった。

ここで、もう一度、麻酔をかけ桂を眠らせるのである。

そして完全に麻酔がきいたあとで、患部を切除していく。手術用ナビゲーションシステムで、腫瘍の場所は、モニター上黄色で指示されている。このモニターを見ながら、腫瘍部分を慎重に切りだすのだ。言語に携わる脳の部分を傷つけないように、ミリ単位のメスさばきが要求される。

腫瘍をすべて摘出し終わったのが、16時21分だった。

直径にして5・5センチほどのラグビーボール型の腫瘍が取り出されている。

閉頭が始まった頃には、手術室の看護師達が帰宅する時間になっていた。

このようにして「覚醒下手術」の長い一日が終わったのである。

職場に復帰する

「手術は大成功。もちろん、寿命がどれだけか、わからない。が、君の場合、5~10年以上生きる可能性は十分ある」

主治医の岩立は、その日の夜に、病棟の桂を訪ね、こう言っている。

膠芽腫は5年生存率が当時で10パーセント弱。しかし、岩立は、主要部を摘出したことで、望みはあると思った。言語野にかかる部分に腫瘍は残存しているが、このあとは、放射線と2006年に承認されたテモゾロミド(商品名テモダール)という抗がん剤を使う。そうすれば腫瘍をコントロールできるのではないか。

手術を終えてしばらくは、桂は言葉がうまくしゃべれないなどの障害があったが、すぐによくなり、5月15日に千葉大学附属病院を退院する。その際に、桂が所属していた千葉総局の朝日の記者たちに送ったメールが残っている。そこにはこんなことを書かれてある。