2009年、朝日新聞の桂禎次郎記者は、平均余命15カ月という最凶の脳がん「膠芽腫(こうがしゅ)」と診断された。桂記者は、言語機能への影響を避けるため、開頭後に麻酔をさましがんを切除できる箇所を確かめる「覚醒下手術」を選択した。手術は大成功だったが、桂記者は職場復帰から7カ月で亡くなる。「がんvs.人間」の最前線を描いたノンフィクション『がん征服』(下山進著、新潮社刊)より、プロローグの抜粋をお届けする――。
「これはなんですか?」「ブランコです」
朝日新聞記者の桂禎次郎(かつら・ていじろう)が目覚めると、ブルーの術衣を着た主治医の岩立康男(いわだてやすお)がたっていた。
「桂さん、気分はどうですか。始めますよ」
2009年3月12日、12時30分すぎ。
千葉大学医学部附属病院の手術室。
桂の頭は、鉄製の固定器で、四点で支えられている。それを頭頂部側から見ると頭蓋が取り外され、脳がむきだしになっているのがわかる。
言語聴覚士の女性がカードをもって「これはなんですか?」と目の前に差し出して聞く。
「ブランコです」
脳の表面には、金属片が張り込まれた透明なシート(グリッドという)が、しかれている。これを電極の二つの棒で指し電流を流す。
カードの絵柄をよどみなく答えていた桂が突然、言葉を発しなくなる。
そのグリッドの二点の場所を別の言語聴覚士が記録していく。
その箇所は言語野にあたるため、切除すると言葉が発せられなくなる障害がでるということだ。
いったん、全身麻酔で患者を眠らせ、その間に開頭手術をし、脳をむきだしにした状態で、覚醒させる。そのうえで、腫瘍周辺の部分を電気刺激をしながら、カードを患者に読み取らせて発話させる、あるいは腕を動かさせる。
そして、切除してよい場所をぎりぎりの部分まで見極める。
これを覚醒下手術という。
もっとも予後の悪いがん
このような普通の人々にとっては想像もつかない手術が生み出されたのは、桂に見つかった脳腫瘍のグレード4「膠芽腫(こうがしゅ)」というもっとも予後の悪いがんのためだ。