「騙されて、みたいなのがあった」父親の会社が倒産したワケ
――倒産の原因は。
野村 後々になっても聞かなかったな。……「なんで?」って、その時の真相を聞いておけばよかったね。ほんと……今だったらおふくろに聞けたのに、なんか聞かなかったね。おふくろ、このあいだ亡くなっちゃって。
――そうでしたか。
野村 そういう話をじっくり聞けなかったんだよね。ただ、親父が不渡りを出して、騙されて、みたいなのがあったみたいで。
――お父さんは、2代目社長でのんきなところがあったとか。
野村 あったんでしょうね。というか、甘かった。酒は飲まなかったけど、博打をやっては朝帰りする人でね。麻雀を徹夜でやったり、競馬に行ったり。そういう姿を子供ながらに見ていたし、僕は親父に慣れなかったというか「パパ、パパ」って感じの関係性ではなかった。たまにキャッチボールをやったりしたけど、僕が自分の子供たちに接するような雰囲気ではなかったね。あんま好きじゃないのかなって、子供を。それよりも自分の遊びを優先する生活スタイルというか。
――それは野村さんに対してだけ。
野村 妹にもそんな感じだから、2人ともあんまり懐かなかったですね。
両親は雲隠れ、妹とも離れて“一家離散”状態に
――夜逃げ状態になって、一家でどちらへ。
野村 親父とおふくろは雲隠れしちゃって、僕と妹はひとまず親戚に預かってもらって。僕は親父の妹のところ、妹はおふくろの姉さんのところへ。お祖母ちゃんは、大阪に兄妹がいたので、そっちへ。
――親戚の方たち、優しいですね。
野村 そうなんですよ。でも、世話になるほうは気になっちゃうんですよ。正月やお盆に集まってるのとはわけが違うんでね。
で、ちょっとしたら親が部屋を借りてくれたんですよ。埼玉の川口に。そこで僕と妹は、しばらく暮らしてましたね。そこから、それぞれの高校に通ってたし。家賃、光熱費は、親が払い続けてくれて。たぶん、いくらかの金を持って出ていったんでしょう。あと、保険の解約をしたりね。家とかはすべて取られちゃってたから。
でも、食費とかがあるから。それは兄妹でバイトして稼いでましたよ。学校が終わったら僕は夜間のビル掃除とかやって、妹はファミレスで。まぁ、数ヶ月ぐらいでしたから、悲惨だったとか、苦労したとかはないんですよ。
――ちょっとワクワクなところも。
野村 うん。ただ、ちょっと親のことは心配だったのはあったんですけど。だから、1ヶ月に何回か待ち合わせして、家族4人でご飯を食べたりして。親がマズい状況だから、横浜とか、板橋から遠いところで待ち合わせして(笑)。
「この駅のここ」「なんとかって店の前で」なんて、やりとりしては会ってましたね。デートもそうだけど、あの頃ってケータイもスマホもないのに、よく人と会えてたよね(笑)。当時は、それが当たり前だったけど。