角川映画『メイン・テーマ』のオーディションで薬師丸ひろ子の相手役に選ばれてデビューし、ドラマ『教師びんびん物語』で大ブレイクを果たした俳優・野村宏伸(59)。
今年でデビュー40周年を迎える彼に、裕福だった少年時代、父親の会社が倒産したことで一時的に陥った一家離散、『メイン・テーマ』オーディションの意外な応募理由などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
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幼少期は200坪くらいあるお屋敷に住んでいた
――今年でデビュー40周年とのことですが、芸能生活に加えてデビュー前の話も聞かせてください。ご実家は化学工場を経営していて、かなり裕福だったそうですね。
野村宏伸(以下、野村) そうです。詳しくはわからないけど、昔の冷蔵庫なんかに使われた製品を輸出してたみたいです。親父が2代目で、フィリピンとかそういったところによく出張で行ってましたね。
――家は200坪くらいある屋敷だったと。
野村 庭が広くて、池には鯉が泳いでいて、という典型的なお屋敷。そこに、両親、お祖母ちゃん、僕、年子の妹が住んでました。さすがに、お手伝いさんまではいませんでしたけど。実家は板橋の志村にあって、うちだけ大きいというか、近所でも有名というか、そんな感じではありましたね。
――小学校は私立ですか。
野村 幼稚園は私立で、両親はそのままずっと私立に行かせたかったんでしょうけど、僕があんまりそういう感じじゃなくて。そんなに頭も良くないし、小さい頃から近所の友だちが多かったから、幼稚園児ながらに「地元の小学校に行きたい」と強く主張して(笑)。それで、小学校、中学校は公立で。
高校1年生の時に父親の会社が突然倒産
――小さい頃から、「他の家とは違うな」と意識を。
野村 小2ぐらいで、ハワイ旅行に行ってるんですけど、ドルが360円ぐらいの時代でしょう。しかも、わざわざ学校を休ませてまで行ったんですよ。
あと、トヨタのクラウンが2台あったりね。なかなか、クラウンみたいな高級車が2台ある家はなかったんでね。そういうところで「うちって、ちょっと違うのかな」とは。
中学まではそんな暮らしぶりだったけど、高校1年の何学期だったか忘れたけど、親父の会社が倒産しちゃって。
――いきなりですか。
野村 親父の会社が倒産したって、いきなり聞かされて。それまで「なんだかヤバそうだ」なんて雰囲気がまったくなくて、ほんとに急だったんですよ。
学校から帰ってきたら、「ちょっともう、この家を出ないとダメだ」「えーっ!」みたいにね。「どうするの?」って感じだったけど、もう親もバタバタで。ある程度の自分の荷物を持たされて、もはや夜逃げ状態ですよね。