両親に会うと元気そうにしてたから、こっちもホッとしてね。両親から「いろいろ迷惑かけてすまない」なんて謝られましたけど、僕らも「しょうがないな」って。妹は、別れ際に親についていきたいなんて、よく言ってましたね。
通学中に“監禁”されて「お父さん、どこにいるんだ?」と…
――学校に通えていたということは。
野村 親が学費を払ってくれていたんでしょうね。僕は王子にあった都立北高校で、妹は私立に通っていて。
僕の学校に債権者が来ましたね。校門から出たら、僕を車に乗せて「お父さんから連絡は?」なんて聞かれて。
――それ、監禁みたいなものですよね。
野村 アウトだよね。ただ、怒鳴ったり、なんかひどいことされたりとかはないんですよ。静かに「お父さん、どこにいるんだ?」とかね。でも、そういうことがあってから「尾けられてるんじゃないか?」って怖くなっちゃって。だから、学校が終わったら裏門から顔を出して、「いないかな?」ってキョロキョロ見回してましたよ。学校の帰り道は、いつも後ろを気にしながら歩いていた記憶がありますね。
――学校に来たのは、そういった界隈の方々ですか。
野村 そういった人もいたし、親父が取引していた会社の人とか。しかし、よく調べるよね。息子の通っている高校とかさ。
学生時代はモテたが、彼女一筋
――ちなみに、中学、高校はグレたりせず。
野村 暴走族に入ってるヤツとか不良の友だちはいっぱいいたけど、僕はあんまりそういうのに興味がなくて。友達だけど、「あっ、自分はいいや」という感じで。そもそも、つるむのがあんまり好きじゃなかったから。
――やっぱり、モテましたか?
野村 小中高までは、モテてました(笑)。待ち伏せとか、普通にありましたね。学校で話題になるじゃないですか、「あの先輩、かっこいいよね」とか。そういうのは当時から。
――ファンクラブ的なものは。
野村 どうなんだろ。他の学校の子たちからも、待ち伏せされたりしましたけど、その程度ですよ。
――モテを謳歌しようとは。
野村 と思いますよね。でも、彼女がいて一筋みたいな感じ。今になってみると、いろんな女の子と仲良くしとけばよかったなって思うけど(笑)。
――離散状態だった家族は、再び集まることが?
野村 できました。高校2年のときに、所沢で両親と僕ら兄妹の4人で住むことができて。その後に練馬にマンションを借りて、そっちに移って。そこで、やっと落ち着きました。高校の3年間は、何回引っ越したんだろうって感じの3年間でしたね。
落ち着いたと言っても、最終的に親父とおふくろは離婚しちゃうんだけど。