角川映画『メイン・テーマ』のオーディションで薬師丸ひろ子の相手役に選ばれてデビューし、ドラマ『教師びんびん物語』で大ブレイクを果たした俳優・野村宏伸(59)。

 今年でデビュー40周年を迎える彼に、最高月収6000万円だったというブレイク時の様子、仕事激減などで手放すことになった世田谷の豪邸、1億円超もの金を踏み倒した友人たちなどについて、話を聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

俳優の野村宏伸さん ©石川啓次/文藝春秋

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たくさんのオファーを吟味して仕事をしていた

――『びんびん』シリーズ(フジテレビ)でブレイクしたわけですが、そうなると時代的にトレンディドラマのオファーも。

野村宏伸(以下、野村) かなり来てましたけど、当時の事務所の社長が僕の意見を聞いて吟味してくれてたので。いろいろやっておけばよかったんだろうけどね。

 織田裕二さんが出た、医者のやつ。あれの話は来ましたよ。

――『振り返れば奴がいる』(1993年・フジテレビ)。

野村 石黒賢さんがやった役だったんだけど、お断りしましたね。映画だと、本木雅弘さんがやった『ファンシイダンス』(1989年)の主演の話が来たけど、それもお断りして。あの頃は、坊主になることに抵抗があったんですよね。

――そうした大きな仕事の話も来ていたわけですから、20代後半で最高月収6000万円も納得といいますか。

野村 歩合制で7:3だったこともあったし、当時はバブルで、弾けてもしばらくは余熱があったでしょう。テレビもコマーシャルも、今よりギャラが数段よかった。コマーシャルの契約が2本入ったりすると、月収が数千万とかいくときはありましたよ。

28歳で世田谷に2億4000万円の豪邸を建築

――それぐらいお金が入ると、使い方も派手に。

野村 大きな買い物は、車ぐらいでしたね。車が好きだったので、『びんびん』のギャラでベンツの190E 2.3の16バルブエンジンに乗って。その後に念願のポルシェを買ったんですよ、新車でシルバーのやつを。

 トシちゃんもポルシェに乗ってたし、子供の頃にスーパーカー・ブームにブチ当たっているから、ポルシェなんかは「ああ、いつか乗りたいな」っていう憧れの車だったので。その後も、ポルシェを何台か乗り換えて。

20代のときはポルシェが愛車だった(写真=野村宏伸さん提供)

――住まいなどは。

野村 家賃が30万、40万、50万って、それなりのマンションには住んでましたね。そんな家賃が払えるもんだから、ずっとお金が入ってくる感覚になっちゃうんですよ。そんなわけないのに。

――そんなわけないのに、世田谷に豪邸を建ててしまう。

野村 28歳のときだから、事務所の社長から「とりあえず、家を買っといたほうがいいんじゃないか」みたいなことを言われて「たしかに」って。でも、もっとコンパクトな家で良かったんですよ。社長も「でっかい家を買っとけ」とは言ってないのに、なんで大きな家を建てたんだろうって思うね。

 だけど、30歳にもならないうちに金を持っちゃうと、そうなるもんなんですよ。周りも金がある人たちばかりだから、それが普通だと感じちゃってるし。