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「オークション会場に行って…」中古車販売店で行っていたバイトの内容

――それでも、まだ世田谷の豪邸には住めていた。

野村 僕のバカな贅沢ぶりというか、結婚してからは世田谷の家におふくろだけに住んでもらって、僕と家族は家賃50万の目黒のマンションに移ったんですよ。同居はお互い気兼ねするじゃないですか。それで別々に暮らしたけど、世田谷の家のローンと目黒のマンションの家賃、生活費を合わせたら、もうちょっとね。

 あまりにも大変で、今度は僕が人から1000万借りましたもん。

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――アルバイトもしたとか。

野村 44歳のとき。仕事が減ってるのに、払うものはあるから、とにかくしのがないといけないじゃないですか。で、友人が中古車販売店をやってたから、自動車メーカーのオークション会場に行って入札するバイトを数ヶ月させてもらったんですよ。

 世田谷の家のローンも銀行に相談して、返済額を月20万に下げてもらって。

世田谷に豪邸を建てたが、ローンの返済や維持費に苦しんだ(写真=野村宏伸さん提供)

――家庭の雰囲気は。

野村 言い争いは、増えますよね。しかも、お金を貸したことを当時のかみさんに言ってなかったですし。それで、2009年に離婚しましたね。

 残債が2000万ほどだったんだけど、そうなったら世田谷の家もいらないから売却して。あとちょっとで完済だったんだけど、利子がとにかく高くてね。その残り2000万を払っていくのがキツかった。

――でも、場所がいいだけに高値で売れたのでは。

野村 いやいや。リーマンショックとかあって、時代が変わっちゃって、買ったときより全然安い値段で買われました。それでも売却したおかげで、借金は返せたし、かみさんと子供たちにもお金を渡せましたからね。

 

独立後に訪れた“転機”とは?

――そのあたりで独立もされていますよね。

野村 心機一転というか、僕の性格からすると自分の看板を背負ってやったほうがいいかなって。そうしたらタイミング良く、『爆報!THEフライデー』(2011~2021年・TBS)でトシちゃんと共演する企画のオファーが飛び込んできて。それに出たら、TBSのプロデューサーから『とんび』(2013年・TBS)に出ませんかと。その方は『びんびん』シリーズの大ファンだったそうで。

――頭を丸めて、僧侶を演じていましたよね。

野村 坊主になるのがイヤで『ファンシイダンス』を断ったのにね(笑)。もう抵抗感ゼロで頭を丸めました。若い頃にいろいろオファーを断っていたのって、コンプレックスが原因だったんですよ。役者の勉強をせずに、ポンッと役者になったから、どこかで自信がなかったんでしょうね。