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角川映画のオーディションに応募した意外な理由

――練馬に移ってから、デビューのきっかけとなった『メイン・テーマ』(1984年)のオーディションを受けたのですか。

野村 3年になって「もう卒業だ。進路どうすんだ」ってなったけど、大学には進む気があんまりなくて。ツアー・コンダクターとかにすこし憧れていたので、旅行とか観光の専門学校にでも行こうかなと考えてたんです。

 そんなタイミングで、妹が雑誌の「セブンティーン」で角川映画のオーディション応募の記事かなんかを目にして。練馬のマンションの前で妹が僕の写真を撮って、それを送ったんですよ。で、すっかり忘れた頃に第1次審査通過の通知が届いて、東映でやるオーディション会場に行ったんです。

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――東映って、銀座の本社ですか。

野村 そう、あそこ。通知に「来てください」って書いてあって。あんまり気乗りしてなかったけど、優勝者には500万円、推薦人には100万円の賞金が出るって知って「これはすごいな」と。これ言うとアレだけど、「賞金もらえるならいいね」っていうところだけで受けたんです(笑)。だから、わざわざ学校を休んで東映に行きましたよ。

――推薦人となった妹さんは「兄ならイケる」みたいな認識があったのでしょうか。

野村 「お兄ちゃん、かっこいいよね」とか、学校でも言われてたらしいんです。あと、応募条件のなかに自動車免許を持っていることってのがあって。ずっと運転している役だったので免許所有が絶対だったんですよね。で、僕は免許を持っていたし、「お兄ちゃん、いいじゃん」と。いろいろ条件が合致している妹の知り合いが、僕しかいなかった(笑)。

松田優作さんの出演映画に興味があって…

――あの頃は角川映画の勢いが凄かったですが、野村さんも観ていましたか。

野村 僕は映画が大好きで、日本映画を観るなら角川映画か松田優作さんの映画って感じでしたから。角川は、松田優作さんの主演作もやってますしね。なので、角川映画のオーディションってところは、僕的に良い意味で引っ掛かってはいました。

 あと、監督が森田芳光さんってところも「おっ」となっていましたし。オーディションを受ける前に、『家族ゲーム』(1983年)を観ていたから。

 

――『家族ゲーム』も、松田優作さんが主演ですもんね。

野村 優作さんが好きだったから、池袋の映画館へ観に行ったんですよ。それまでの『蘇える金狼』(1979年)や『野獣死すべし』(1980年)といったハードボイルドな感じではない優作さんの映画だってことで、興味があって。