自分の意志で「産まない人生」を生きている、フリーライターの若林理央さん。しかし、周囲からは「なんで産まないの?」「産んだらかわいいって思えるよ」「産んで一人前」などと言われ、傷つくこともあるという。なぜ彼女は、子どもを産まない選択をしたのか。周囲の反応に対して、どのような葛藤を抱えているのか。
ここでは、若林さんの著書『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』(旬報社)より一部を抜粋。33歳で病気が発覚した彼女に生まれた“迷い”とは――。(全2回の2回目/1回目から続く)
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「産む」「産まない」で初めて迷った出来事
二度目の結婚をする直前の、33歳の時だった。「産む」「産まない」に関わることで、私に初めて迷いが生まれた。
「産むために努力する」か「産まない人生をこのまま歩む」を突きつけられ、今までの人生で一度だけ、「産む人生」を歩もうかと考える出来事が起きたのだ。
きっかけはニュージーランド旅行中に腎盂腎炎(じんうじんえん)という腎臓の病気で緊急入院をしたことだった。
容態が落ち着いて退院の許可を得た私は、日本に帰国したあとも1か月ほど入院施設のある病院に通い続けていた。腎盂腎炎は泌尿器科で治療する病気で、泌尿器科外来の隣には婦人科外来があった。
腎盂腎炎が全快に近づいた頃、内科に通されてCT検査を受けた私は、「卵巣に腫瘍のようなものがある」と言われて真っ青になった。
腫瘍って何だろうか。がんだったらどうしよう。
内科医は深刻な様子ではなかったが、病院に通っているうちに不安な要素はすべて消してしまいたい。
婦人科で受けたPCOSという診断
泌尿器科での最後の診察があった日、私は婦人科に行った。その病院の婦人科外来は週に2日だけ開いていて、外部からきた男性と女性の医師が1日ずつ担当していた。
問診票の項目に「最終月経はいつでしたか」という項目があった。
私は初潮を迎えた13歳からずっと生理不順である。海外旅行中に緊急入院をして、なかなか帰国できなかった大変さに気をとられ、しばらく生理がきていないことをうっかり忘れていた。「3か月ほど前」と問診票に書き込む。生理不順はいつものことなのに、これも「腫瘍のようなもの」に関係があるのだろうか。
男性の婦人科医による内診で、腫瘍はないと言われる。
つまりがんではない。ほっとした私に、婦人科医はモニターで写真を見せた。片方の卵巣だと示された写真を見ると、黒くて丸いものが身を寄せ合うようにして映っていた。
「これは小嚢胞というものです。PCOS……多嚢胞卵巣症候群(たのうほうらんそうしょうこうぐん)という病気ですが、その可能性がありますね。生理もしばらくきていないようですし血液検査をしましょう」
PCOS……はっとした。20代半ばで、婦人科医に「今のところはまだ大丈夫」と言われた病気ではないか。
エコー写真を見ると小嚢胞があの時より増えているような気もする。私の場合、もともと子どもをほしいと考えたことがなかったので、その後の経過については無関心だった。
PCOSが命に関わる病気ではないと説明を受け血液検査をして、一週間後にまた婦人科に行くことになった。