文春オンライン

33歳で排卵障害が発覚、医者から「子どもは欲しいですか?」と言われ…“子どもを産まない人生”を選んだ私が、診断後に抱えた“葛藤”

『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』より #2

2024/06/21
note

「産んでみたらかわいいよ」という呪いの言葉

 再び婦人科に行った。前と同じ女性の医師の診察日をあえて選んだ。同じ身体性の人に、この迷いを聞いてもらいたかったのだろう。

「最近、子どもがほしいのかもと思うことがあるんです」

 私がそう言った瞬間、医師の表情が明るくなったのを今も忘れられないでいる。それは不妊外来について質問した時、詳しく教えてくれた友だちのやさしさに近いものがあった。

ADVERTISEMENT

 私は思った。

「産む」「産まない」「産みたい」に限らず、未来の自分がどうありたいかは、わからないものだ。たとえば結婚するかしないかも、自分の未来に結びつくものだが、それが自分を幸せにするものなのかどうかを把握するのはむずかしい。未婚の友人も「結婚したいのかしたくないのか自分ではまだわからないんだけど、婚活をしていると言ったら両親が安心する」と話していた。

 不妊治療と婚活を並べて語るつもりはないが、私は「もし不妊治療を始めたら、私が相談をした友人や婦人科医のように、たくさんの人が子どもを授かるためにがんばる私を見て喜んでくれるだろう」と考え始めた。

「私は子どもを望んでいる」

 ひとこと言えば、みんなが笑顔になる。

 また、今まで「子どもを産みたくない」と言った時に投げかけられた「産んでみたらかわいいよ」といった呪いの言葉のことも思い出した。

 婦人科医や私の相談にのってくれた友人には感謝している。私が子どもを産むことについて考える機会をくれたから。

 だけど呪いの言葉を放った人たちは、「女性にとって幸せな人生」=「子どもを産んで育てること」とひとくくりにしていたのではないだろうか。彼ら、そして彼女たちは自分が価値観の押しつけをしていることにも気づいていない。「私は理央に親切なアドバイスをしている」と誤解している人もいただろう。

写真はイメージです ©maruco/イメージマート

「変わってる」私は「普通」が良かった

 理不尽ではあるが、私が「子どもを望んでいる」と言いさえすれば呪いの言葉は消えてなくなる。

 それに、ずっと望んでいた「普通」の人生を送りたい、つまりマジョリティに分類されたいという夢も、子どもを産めば叶うかもしれない。

 親の離婚、小学生時代の場面緘黙、そのせいでいじめに遭ったこと、中学生時代の不登校、高校時代の友だちグループでの閉塞感、ADHDに起因する仕事の向き不向き、元夫と年ほどで離婚したこと。それから、それから……。

「変わってる」のは悪いことではない。ただ私は「普通」が良かった。多数決なら多数のうちに入れるような、そんな人生や学校生活を望んでいた。

 私はものごころがついた時から、いつ、どこにいても寂しかった。その寂しさは、そういった自分の「変わってる」部分を認識することで深まったのかもしれないし、関係がないのかもしれない。生まれ持った先天的な寂しさだという可能性もある。精神科医やカウンセラーに相談してもわからないままだ。

 寂しさは今もずっと私を苛んでいる。

 子どもを産めば、私はもうマイノリティではなくなり、マジョリティとして「普通の人生」を送れるのではないだろうか。産んだ子どもが私を癒して、成長したら老いた私を守ってくれるのではないだろうか。子どもがいる夫婦というカテゴリーにおさまることができたら、寂しさも消失する可能性がある。

33歳で排卵障害が発覚、医者から「子どもは欲しいですか?」と言われ…“子どもを産まない人生”を選んだ私が、診断後に抱えた“葛藤”

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー

関連記事