「ダメだ。セックスはナシ。これで満足しろ」…長年連れそった夫との関係に満足がいかない女性弁護士のヴェラ。離婚はしたくない、でも自身の欲求を抑える真似はしたくない……。そんな彼女が次にとった行動とは? 夫の不倫で離婚した女性心理学者のアンジェラ・アオラ氏による新刊『不倫の心理学』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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セックスしたがらない夫
ヴェラはダークブラウンのソファでノートパソコンを膝に乗せ、背を丸めている。探していたページを見つける。離婚はしない。それは分かっている。夫のマルクスが自分を求めていないことも知っている。できる限りのことを試した。チャーミングに、ロマンチックに、セクシーに、大胆に、優しく、上品で慎重な誘い文句で夫に近づこうとした。これがダメならあれでその気にさせられるかもしれないと。しかし距離を置かれるばかりだった。
ヴェラは夫婦の在り方に長年の関係性以上のものを求めている。一方で夫は今と少しでも違うものに苛立ち、無理な要求や応えられない期待だと解釈する。努力することに疲れてしまった。歳月は流れ、自分が若返ることはない。夫や夫のニーズ、あるいはニーズの欠如に縛られた生き方でいいのだろうか。自分で生き方をコントロールすべきではないのか?
スキンシップをとるかどうか、セックスをするかどうかは夫が決める。セックスを望まない夫が最終的決定権を持っているということだ。セックスを望まない人が強制されるべきでないのは明らかだ。だからもちろんヴェラはそんなことはしない。だが発想の転換を図ってみる。夫は自分に独身生活を強制している。自分にとって重要で、自信にもつながる肉体的な愛情表現がない人生を強制されている。夫が「ダメだ。セックスはナシ。これで満足しろ」と決めている。
少しでも話し合う姿勢があれば状況は違っただろう。そうすれば2人は共通の問題として一緒に対処することになっただろう。
パートナーに性的欲求がない場合、それは理解されるべきで、手を出してはならないという規範があるようだ。理解ある態度を示すこと。消えてしまった性生活を話すのもタブーに近い。ヴェラが話を持ち出すと「またお前は俺を追い詰める」という反応が返ってくる。セックス以外にも互いに歩み寄る方法はいくらでもある。だが夫は他の形も望んでいない。そもそもセックスとスキンシップとは同じものではない、とヴェラは諦めたように言う。長年満たされず、積もり積もった生理的欲求が彼女の内側でフラストレーションとなっている。カップルの一方は満足して幸せ、もう一方は悲しみのどん底。ヴェラにしてみれば半分死んでいるようなものだ。
それでもセックスができ、ことが終わって夫は上機嫌でこんなことを言ったことがある。
「なぜもっと頻繁にやらないんだろう?」
セックスのルーティーンを決めることになり、少々奇妙なことだがいつも決まった曜日の同じ時間に予定された。水曜日の10時。彼女は心の準備をする。カレンダーにはチェックの印が付けられた。しばらくすると違和感を覚え始めた。「欲しかったものは手に入ったか?」というように夫は時々、「満足か?」と尋ねた。非難ではなく、もっとおだやかに純粋な疑問として訊くのだった。
セックスは夫がヴェラのためにする作業のようになり、その度に「今のままで大丈夫」と答えるもののあまりいい気分ではなかった。夫の精力に関わることかもしれないし、もし問題があるなら話し合う必要があると思った。「あんまりセックスをしたくないみたいだけどお医者さんに相談したことはある?」と細心の注意を払いながら丁寧かつ優しく聞いてみた。𠮟責される可能性があることはわかっていたが、解決策を見つけるためには話し合わなければならない。だが夫はただ怒っただけだった。その後、二度とその話を持ち出さなかった。