商売人の言葉
北方 主人公は絵描きですから、ある部分では私が小説を書く行為と重ね合わせることはできるんです。ただ、絵と小説はずいぶん違います。そのあたりで、自分の想像力を使う余地がある。キャンバスに向かって絵の具を塗ることは、原稿用紙に字を書いているのとはだいぶ違う行為ですからね。
カズ でも、似てる部分もあるわけですよね。
北方 あります。
カズ 主人公を見て、ここは先生ぽいなと感じるところも少しありましたけれど、でも、同じ「かく」という言葉にはなるけど、絵を「描く」のと文字として「書く」のとは全然違うんですね。画商の吉野さんの「商売には難しい言葉が必要なんだ」という言葉は、小説というものに対して一石を投じるように感じられたんです。僕も話すことを商売にしていると、あえていっぱい言葉を足しまくっていたりするんですよね。そのほうがウケがよかったり、お客さんの反応がよかったりするけど、その言葉を足していくのとは真逆のところが絵じゃないですか。
北方 だから、絵のことについて画家本人は語らないんです。ただ、吉野はそれを取り扱う業者なわけで、あえて、業者と言ってしまえば――商売人には言葉が必要になってくる。介在する人には言葉が必要になり、それは難しければ難しいほどいいんです。小説も、作家は語らないんですよ。編集者がつべこべ言って、難しく解釈してくれて語ったりすると、いい作品かなと思えてきちゃう。
カズ 吉野さんが、自分には商才はあるけど、なんと言っても「作品がなければ」と言っていますよね。「俺らの商いは、人の褌で角力(すもう)をとっているってことだ。それは忘れちゃならない」と。
北方 僕は編集者にも言います。「書くのは俺だ。君は本を出してくれるけど、そこでどういう勝負になるかというと、君は俺の褌で角力をとってるんだ」と。
カズ 僕が吉野の立場だったら、これもハードボイルドな言葉だなと思うんです。確かに人の褌は使ってるけど、角力を取ってるのは俺なんだっていうプライドもあるじゃないですか。だからこそかっこいい言葉だし、それを主人公じゃなくて周りの人物に言わせてるのが面白かったんですよ。