『黄昏のために』(北方謙三 著)文藝春秋

 北方謙三さん14年ぶりの現代小説『黄昏のために』刊行を記念して、北方作品の愛読者であるカズレーザーさんとの対談が実現しました。「ハードボイルドの流儀」に肉迫する濃密な語らいをお届けします。(写真:原田達夫)

◆◆◆

最寄り駅のハードボイルド

カズ 北方先生と最初にお会いしたのは、二〇一六年のテレビ朝日さんの『アメトーーク!』という番組の「読書芸人」の回でしたね。

ADVERTISEMENT

北方 カズさんたちが神保町の三省堂書店でロケをやっている日に、ちょうど私のサイン会があったんですよ。それで、書店の人が「不意打ちしましょうよ」と悪戯をもちかけてきて。

カズ ロケが終わって下の階に降りていったら、怖そうな方がこっちに背を向けていらっしゃったので、たまにロケで遭遇するおっかない人かな、ロケを追っかけてくるだけじゃなくて、三省堂の店内まで入ってくるって、相当、地元で幅を利かせてるとんでもない人なのかなと思ったら、北方先生だったんです。そこでごあいさつさせてもらって。

北方 私だとわかったカズさんが、「駄目だ、どうフォローしていいかわからない!」と叫んだのをよく覚えています(笑)。

カズ 叫んだだけじゃなくて、ちゃんと本の感想も言わせてもらいましたよ(笑)。今日も先生の新刊『黄昏のために』を読んできました。すごいハードボイルドなんだけど、そもそもハードボイルドって何だろうとあらためて考えたんです。僕はハードボイルド作品をたくさん読んできたわけじゃないんですけど、イメージとしては、手に汗握るとか、命の取り合い、切った張ったの世界、男臭くて、銃弾とか、いろんなアイテムが出てきそうですよね。でも、先生の新刊はそれらのアイテムを極限まで減らしていって、最後、男とお酒ぐらいしか残っていない。それでもやっぱりハードボイルドなんだと感じられたのが、僕には衝撃的だったんですよ。

 

北方 ハードボイルドの定義ってないんです。私が書けばハードボイルドになる。

カズ 定義ってないんだ……。物語に出てくる場所も、どこにでもある普通の場所、何なら僕らも住んだことありそうな地域。言ってみれば、「最寄り駅のハードボイルド」なんですよね。ハードボイルドは何を書く物語なんだろう、何を書くジャンルなんだろうとずっと思ってたんですけど、出てくる人が自分の生き方に恥ずかしさを感じてなければ、ハードボイルドなのかなと。

北方 あるいは、一生懸命生きていればね。

カズ ことさらに言わなくても、別に誇ることもなく、てらうこともなく、自分らしく生きていることが、ハードボイルドなんだと途中で気づきました。