奈良県にある私立中高一貫校の西大和学園。今や、東大、京大合格者数で全国トップレベルの進学校だが、わずか30年前までは偏差値50の無名私立高校だったという。西大和学園はいかにして共学トップの進学校になったのだろうか?
ここでは、西大和学園の創設者で、学園の会長でもある田野瀬良太郎氏の著書『なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進』(主婦の友社)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の4回目/3回目から続く)
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「受験勉強じゃなく、いろんなことを学びたい」という子が出てきた
平林校長が西大和スタイルの伝道師として奔走するあいだ、今村教頭には教員たち、特に学年部長たちをまとめるマネージメント役をお願いしました。
「学年部長は僕と同じ30歳そこそこのヤツらばかりで、みんな突っ走っているんです。それこそ野武士集団ですよ。それをまとめろと?」
「君かて野武士の先頭切って走ってたやないか。今度は野武士を束ねる総大将になったらええ」
判断力が早く、物事をはっきり言う彼ならできると踏んだ、私なりの檄(げき)です。
これまでは、交渉力のある学年部長がいい人材を集めて他の学年に回さないということも少なくありませんでした。すると、どうしても各学年の実績に差が出てしまいます。また、各学年が行事から授業カリキュラムまで好きなように組んでいくので、学校全体の統一感も薄れているという現状もありました。それらを調整するのが今村教頭に課せられた大きな仕事でした。
ひとつの学年が勉強ばかりさせていて行事が二の次、三の次になっていたら、行事が得意な先生を入れる。中学2年生の学年はどうしても英語が弱いとなったら英語のエキスパートの先生を投入する。そして、各学年でバラバラだったカリキュラムや行事を見直し、よりシステマチックにしていく。この数年間にわたる調整で、学校がさらにひとつにまとまっていきました。
2001年に西大和学園が東大・京大合格者数全国ベスト10に入った背景として、校長や教頭たちのそうしたアクションも少なからず影響していたと思います。
校長や教頭のもとには、日々、学年部長や教員たちからさまざまな指導提案が上がってきます。
「数学や物理で飛び抜けた才能を持つ子には、大学レベルにまで食い込んだ授業を受けさせてみたらどうか」
「アメリカの語学研修旅行で、子どもたちの英語に対する認識は一変する。もっともっと生きた英語を習得させるプログラムを組むべきではないか」
「西大和はスパルタだと思っている子どもや親御さんも多い。入ってくる子どもたちも変わってきているのだから、これまでとは違う授業カリキュラムを組みましょう」
たしかに、この時代に入ると、以前とは明らかに異なるタイプの生徒も入学してくるようになっていました。
「1回解けば分かるから、同じような問題を3問も宿題で出すのはやめてください」
とさらっと言うような、あらかじめ理解力の高い子どもたちです。