奈良県にある私立中高一貫校の西大和学園。今や、東大、京大合格者数で全国トップレベルの進学校だが、わずか30年前までは無名私立高校だったという。西大和学園はいかにして共学トップの進学校になったのだろうか?

 ここでは、西大和学園の創設者で、学園の会長でもある田野瀬良太郎氏の著書『なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進』(主婦の友社)より一部を抜粋。西大和学園の“荒れていた時代”を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

写真はイメージです ©アフロ

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初年度入学者の学力は偏差値50前後だった

 第1回の入学試験では、男女合わせて定員315名のところ、あえて合格者を定員以下に抑えることにしました。その結果、初年度入学者の学力は、奈良県内にある四十数校の公立高校では中堅クラス。偏差値は50前後だったでしょうか。

 この「中堅クラス」というのが実はやっかいなところで、明確に大学進学を目指している生徒もなかにはいるものの、多くは高校受験を勉強の最大の山場ととらえており、高校では思いきり羽を伸ばそうと思っていたり、公立高校に落ちて劣等感を抱いていたり。

 生徒たちに我が校の志望動機を聞いてみても、こんな調子でした。

「奈良の公立を落ちてしまい、すべり止めでここしか入れなかったから」

「大阪の私学や奈良の公立に比べて、奈良の私学は入試時期が一番先で、できるだけ早く勉強から解放されたかったから」

「制服が可愛かったから」

「新設校だから校舎も新しくて、居心地がよさそうだったから」

「新設校で先輩がいないから、自由に、好き勝手にできそうだったから」

 勉強が決してできないわけではないけれど、向学心に乏しく、要領もあまりよくない。そんな生徒がいる一方、とことん劣等生ではないけれど、それなりにやんちゃをしたい生徒もいる。