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市民が勝ち取った「文教地区」という称号

と聞くと、「いやいや、たかが地方政治のゴタゴタくらいで大企業が大金をかけたプロジェクトを放り出さんだろ」と思うかもしれないが、それは国立市民の「闘争力」をナメている。

もともと国立市は一橋大学など教育機関が多いので「文教地区」とされているが、これも東京都から「じゃあ国立市は文教地区で」なんて一方的に決められたわけではなく闘争で勝ち得たものだ。

戦後、隣の立川に米軍基地ができたことで、街の風紀が乱れたことを受けて1950年代に「国立町浄化運動」がスタート。そこでこの運動を主導された人々が掲げたのが「文教地区指定」だった。文教地区になれば、風営法取り締まりのキャバレー等が開業できず、ホテルや旅館も制限されるからだ。

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市民活動家のDNAが色濃く残っている

この「文教派」と呼ばれる市民運動家たちは「反米左翼」「文狂地区」などの批判を受けながら町議会をつき動かして、1952年に「文教地区指定」を勝ち取ったのである。

つまり今、分譲マンションの宣伝文句に使われる「文教都市・国立」というイメージは、政治闘争慣れしている市民活動家の皆さんが築き上げてきたブランドでもあり、今もそのDNAを誇りに思い継承する「市民」がたくさんいるところなのだ。

そんな「市民運動の総本山」のような国立市で、しかも「景観に配慮すべき」と定められた富士見通りで、高層マンションを建てるという行為自体が、積水ハウスの危機管理意識が甘かったと言わざるを得ない。

「完成直前の撤退」は勇気ある決断だった

ただ、この土壇場で恥も外聞もなく「撤退」ができたのは勇気のある決断だった。企業危機管理を長くやっていると、このような「損切り」ができないことが、炎上企業の共通点だと気づく。

このまま進めば明らかに問題があることがわかっていても、「ここまでやってきたのに今さらやめられるか」なんて感じで、体面や立場を優先して結果、火だるまになるパターンが圧倒的に多いのだ。

積水ハウスの判断は表面的に見れば不可解だが、背景を知れば学ぶべき点は多い。危機管理担当者はぜひ他山の石としていただきたい。

窪田 順生(くぼた・まさき)
ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)、『潜入旧統一教会 「解散命令請求」取材NG最深部の全貌』(徳間書店)など。