くりおね 退学はたしか高2の夏休みだったかな。でもTwitterとはぜんぜん関係ありません。何かトラブルがあったわけでもなく、普通に人間関係がうまく築けない自分が嫌になってやめたんです。

 私って、ADHDなんですよ。ものごとを長く続けられないし、人間関係も上手に築けないタイプ。人生で唯一続いているのはSNSだけで、だから今も昔もネットに張り付いている部分もあって。

ADHDとわかって、お母さんは泣いた

――ADHDというのはいつ自覚を?

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くりおね 中1のときです。振り返れば小学校時代は、忘れ物が多い、宿題や部屋の片付けができない。いつも同じことで怒られたりしていましたし、それが原因でお母さんからもよくビンタされたりもしていました。学校では男子と殴り合いの喧嘩をしたり、授業中に逃走もしたりしていたので、“何をしでかすかわからない子”扱い。教室の席は常に先生が見張っていられるよう、6年間ずっと教卓の前でした。

 でもお母さんがやっぱりこの子はおかしいと思ったのか、ある日病院に連れて行かれたんです。そこでADHDと診断されて、お母さんは大泣きしました。「もう叩かない。叩くのやめる」とも言ってくれましたね。以来、私の個性を伸ばそうと自由に色々なことをさせてくれたり、ADHDについての勉強もしてくれました。そのおかげで伸び伸びと育つことができたと思います。

――ADHDとわかった後は生活が変わりましたか。

くりおね 私的には「みんなと違うんだぜイェイ!」って感じでした(笑)。けど、いざ先生がクラスメイトにそれを伝えると、ますます人が近寄らなくなりましたね(笑)。でも、ADHDの薬を飲み始めるようになってからは、初めてお母さんの言いつけを思い出せるようにもなりました。

退学後は何をしていたのか?

――では中学校までは頑張って学校にも通っていたんですね。

くりおね 限界が来たのが高校です。退学の条件として、親には「金輪際、私の人生にお金を払わなくていい」と約束しました。働いて通信を卒業すると。実際、自分でお金を貯めて、通信は卒業しました。

――退学後はどんなお仕事を?

くりおね 地元のとんかつ屋さんやファミレスとか、いろんなところを転々として100万円くらい貯めました。だいたい週5で8時間労働。通信を卒業したあとは、美容系の専門学校にも入学したんですけど、やっぱりやめちゃいました。

 なんか、やりたいことが「やらなきゃいけないこと」に変わった瞬間から、やる気を失っちゃうんです。今までずっとつまみ食い。今年25歳になるので、そろそろつまみ食いのままで大丈夫なのかなと思いつつ、将来設計がなくて逆にワクワクもしています。私は鳥のように生きていたいんです。

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