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〈すべてにヒルトンのロゴが入っていた。白い巾着はテーブルクロスだとわかった。父親とルームサービスを取り食器をテーブルクロスごと包んで、丸々、持ってきたのだと、小池は悪びれることなく北原さんに告げた〉(前掲書)

小池氏がホテルなどから持ち帰ってきた食器 ©文藝春秋

 しかも、この一回だけではなかった。

〈その後も小池は、ヒルトンに泊まる父親に会いに行くたびに何かを必ず持ち帰ってきた。北原さんは、次第にお茶目でやっているとは思えなくなった。ヒルトンのハンガーは、やがてクローゼットに入りきらなくなった〉(前掲書)

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 実は小池氏が持ち帰ってきた備品の一部は、いまも北原氏の手元にある。小池氏が日本に帰るとき、置いていったものだ。ホテルに返しに行くわけにもいかず、北原氏も処分に困ってカイロの家にそのまま置いていたものだ。手に取るとずっしりと重く高級感のあるナイフとフォークは、数十年の時がたってもなお、黒ずみながらも銀色に光っている。

柄の部分にはナイル・ヒルトンのマークが ©文藝春秋

 当時の小池氏のもとへ、親からの仕送りは一切なかったという。ホテルの備品を持ち出さねばならぬほど、生活は苦しかったのだろうか。『女帝 小池百合子』にはこうある。

〈カイロは常に物不足である。金を出せば何でも手に入る日本とは生活がまったく異なっている。だが、そうしたことを割り引いても、次第に学生たちの目に小池の行動は奇異に映るようになっていった。スリルを楽しんでいるのか。よほど吝嗇なのか。(中略)

 小池の置かれた状況が、それだけ切羽詰まっていたのか。だが、ザマレックの高級アパートに住んでいる。マスコミ関係者や商社マンの前で見せる姿と、自分たち学生の前で見せる姿が異なると、留学生たちは小池を次第に敬遠するようになっていった〉

ジャン・ヴァルジャンは罪の意識に耐え切れずに告白した

“盗んだ銀の食器”といえば、フランスの作家、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に記した『レ・ミゼラブル』である。

 物語の冒頭は、パン一切れを盗んだ罪で投獄されたジャン・ヴァルジャンが、19年ぶりに刑務所を出て、街を彷徨っていたところから始まる。宿に泊まろうにも何度も断られ続けて、唯一泊めてくれたのがカトリックの司教だった。司教は身の上を聞いた上で、食事を振る舞う。食卓には銀の食器が並べてあった。

 だがジャン・ヴァルジャンは、司教が寝静まった夜、戸棚から銀の食器とスプーンを盗んで逃げ出してしまう。まもなく憲兵に捕まり、ジャン・ヴァルジャンが「貰ったものだ」と主張したため、司教のところへ連れ戻された。すると司教は憲兵に、食器はあげたものだと語り、ジャン・ヴァルジャンに対してこう言った。

「私はあなたに会えて嬉しい。ところでどうしなすった、私はあなたに燭台も上げたのだが。あれもやっぱり銀で、二百フランぐらいにはなるでしょう。なぜあれも食器といっしょに持って行きなさらなかった?」(『レ・ミゼラブル(一)』岩波文庫、豊島与志雄訳より)

 これを聞いた憲兵は、ジャン・ヴァルジャンを釈放せざるを得なかった。

 司教の優しさに触れたジャン・ヴァルジャンは、その後、名前を変えてマドレーヌと名乗り、事業で成功する。貧しい人々を助け、そして市長の座に上り詰めた。

 だが、ジャベール警部に「市長は実はジャン・ヴァルジャンではないか」と疑われ、追われ続ける。そしてある日、別人が自分と間違えられてジャベール警部に逮捕されてしまった。別人が自分の代わりに裁判にかけられるのを見て、罪の意識に耐え切れずに遂に、「私がジャン・ヴァルジャンだ」と告白したのである。