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竹下登から届いたお礼状

 〈垂秀夫氏(63)は40年弱の外交官生活で、歴代の外相だけでなく、安倍元総理や菅前総理、二階元幹事長ら数多くの政治家の外交をサポートしてきた。連載の第6回では、彼らの知られざる素顔について明かす。〉

垂氏 ©共同通信社

 外務省での初仕事は、1985年に中曽根康弘総理が主催した中国青年訪日団の受け入れパーティの手伝いでした。私は外務省入省1年目で、まだ研修中の身でした。

 南京大学に留学中の87年1月には、自民党幹事長だった竹下登氏が訪中し、最高指導者の鄧小平と会談。竹下さんが上海を訪れた際は、在上海総領事館からお呼びがかかり、私も南京から応援に駆け付けました。まだ若手でしたから竹下さんのそばにいることはほとんどなかったのに、後に留学生宿舎に竹下さんから「大変お世話になりました」と、丁寧なお礼状が届いた。ここまで徹底した気配りをするのかと驚かされたものです。

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竹下登元首相 ©文藝春秋

 留学時代は、87年6月に北京で開かれた日中閣僚会議の手伝いもしました。日本側団長は外相の倉成正さんでしたが、中国が重視したのはポスト中曽根の一人とみられた宮澤喜一蔵相です。私は大蔵省チームに配属され、肩から下げる大きな無線機を持ち、後ろから宮澤さんに付いて回った。宮澤さんも気配りの方で、帰国日に身内の慰労会を開き、大蔵省の職員ばかりのその会に「君も入りなさい」と招いてくれたのです。