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《安室、SPEED、DA PUMPを輩出》「親父はヒロポンを打ちながら…」マキノ正幸さん(享年83)が語っていた“辛い少年時代”

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やがて両親は離婚「完璧に捨てられた」「もう地獄でした」

 親の都合で住まいを転々とし、また京都へ。父の姉の家へ住むことになった。この伯母の息子である長門裕之、津川雅彦兄弟と同居する。やがて両親は離婚。

 4年生の頃です。京都の市立御室(おむろ)小学校に転校しました。親父のいる京都がすごく嫌だったんだけど、富谷小学校でのいじめから逃れられるだけでありがたかった。学校に行ったら、一学年上の雅彦が子分をぞろぞろっと連れて僕のいる教室へ来て、「おまえら、マー坊に手ぇ出したら、どつくぞ、コラア!」なんて言ってくれたんですよ。それで誰も近寄って来ない(笑)。で、僕はまた暴れん坊に戻る。怖いですね、人間って。

 5年生になると、親父が「おまえ、東京の母親のところに帰れ」って言いだした。親父に女ができて邪魔になったということですね。完璧に捨てられたと思いました。

 東京へ戻って、また富谷小学校へ入れられたもんだから、やっぱりいじめられるんです。もう地獄でした。だから、怖くて卒業式にも行きませんでした。行ったら絶対に殺されると思って。嫌な小学校時代だったですねえ。

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安室奈美恵をはじめ数多くのスターを輩出 ©︎文藝春秋

 父は女優の鳳弓子と、母は俳優の島耕二と再婚する。父からも母からも捨てられたと幼心に絶望した。

 おふくろがいい判断をしたと思うのは、東京・調布のつつじヶ丘にある歌手・三橋美智也さんの豪邸を買ったことですね。直後に突然、島耕二さんと入籍して、その家に住んだ。敷地が666坪もあってね。僕は、三橋さんが使っていたという2階の部屋を占領していました。

 1953年、青山学院中等部に入学。野球部に入り、小柄ながらショートを守って活躍する。高等部の頃にはスター選手に。のちにプロボウリング界で名をなす野沢加奈子さんと交際を始めたのもこの頃だった。

 泥だらけになって野球をやった後、おふくろが雇っている運転手に運転させて、御茶ノ水にある加奈子の豪邸に迎えに行きました。運転手は嫌だったと思いますよ。ガキのくせにバックシートで女の子といちゃいちゃしながら「おい」って命令するんですから(笑)。つつじヶ丘の家に着いたら、僕の部屋にこもって……(笑)。