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そのころは三田のマンションでケメコと暮らしていました。2年間ぐらいかな。でもね、なんとなく「ケメコは結婚する相手じゃないな」と考えている僕のずるさがあった。のちに彼女は渡米して、さらに成功を収めたから、それでよかったんでしょう。
母が49歳の若さで他界。つつじヶ丘の豪邸を相続し、20代で馬主に
1967年、母が49歳の若さで他界する。その翌年、27歳のとき、結婚。長男、長女が誕生する。
ボウリングセンターで、かわいい子を見つけて、一緒に投げたんです。加奈子に内緒でその子とつきあうようになりました。おふくろの葬式で、加奈子、ケメコ、その子の3人がかち合っちゃった(苦笑)。九段の有名な司法書士の娘で、この子と結婚する、という予感がありました。結婚式の司会をしたのが大橋巨泉です。
おふくろは亡くなる直前に島さんと離婚していたので、つつじヶ丘の豪邸は僕が相続しました。その頃の僕は、好きな競馬のことしか頭になかった。馬が買いたい一心で、つつじヶ丘の駅前の不動産屋に飛び込んで、家の敷地のうちの400坪ほどを売ったんです。おふくろが三橋さんから買ったときは1坪3万円くらいだったのが、このときは35万円になっていました。
馬を探しに北海道の日高まで出かけて、大橋巨泉と赤坂プリンスホテルで毎日のように、馬について、あれこれと話し合っていましたね。20代で馬主になりました。
(取材・構成 樽谷哲也)