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「完全に運転士のチョンボ。それ以外あり得ない」

 井手氏の福知山線事故に対する見方は、13年前の事故直後から寸分と変わっていない。本に記した言葉を引けば、「完全に運転士のチョンボ。それ以外あり得ない」と考えており、同社の組織的・構造的問題が真の原因だったとする淺野氏や現在のJR西の考えに対して、「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなのはまやかしです。個人の責任を追及するしかないんですよ」と強く反論している。

2005年4月25日に起きた福知山線脱線事故の現場 ©共同通信社

 事故は、緊張感や技量や意識の足りない未熟な者か、会社に損害を与えようとする悪意ある者が起こすのであり、これをなくすためにはミスを厳しく戒め、罰を与え、改心させるしかないと彼は考えている。「責任事故論」という。国労や動労と激しく対立した国鉄時代の社員管理を引きずった、ひと昔前の思想だ。

現代のリスク管理とはかけ離れた、完全に根性論の世界

 福知山線事故の23歳の新米運転士が、現場カーブでのブレーキ操作を忘れるほど極度に恐れた「日勤教育」は、この考え方に根差していた。「まるで、いじめ」「犯罪者扱い」とも言われた現場長による叱責。精神論を延々書かせる反省文。同僚たちへの見せしめ。それが何日間とも告げられないまま続く。乗務員手当は削られ、ボーナスもカットされる。

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「JR西の天皇」井手正敬氏

 人間は真面目に職務に努めていてもミスを犯すものであり(ヒューマンエラー)、潜在的なリスクを洗い出し(リスクアセスメント)、システム全体で予防的・多重的な事故対策を取るのが常識となっている現代のリスク管理とはかけ離れた、完全に根性論の世界である。

 そうしたこともあって、井手氏は、事故後に社長に就任した山崎正夫氏から「縁を切る」と宣言され、「天皇」の座を追われることになった。少なくとも、現在のJR西経営陣の中には、井手氏のような安全思想を持つ者はいない。彼の威光を直接知る世代も数少なくなり、影響力もない。私が取材した幹部たちは、そう語っている。もちろん井手氏本人は納得していないが、それが現実である。