属人的な忠誠、官僚的風土の企業は他にもある
JRとは別の元官僚組織に勤める私の友人は、『軌道』を読んでいてしんどかったと感想を伝えてきた。かつてのJR西が、自分のいる組織とあまりにも似ているから、と。
その友人の組織では、表向き個人の責任を追及しないことになっているが、実態は違うという。何か問題が起これば、まず犯人探しが行われ、会議では上司が「何某さんに恥をかかせられない」と属人的に忠誠を誓い、挑戦する者よりもミスをしない者が評価され、結果的に出世の階段を上っていく。そんな官僚的風土の企業は、おそらく枚挙に暇がないだろう。
井手氏が唱える「厳しく締め付ければミスはなくなる」「放っておけば、現場は楽をしようとすぐに緩む」という根性論に根差した組織運営も、支持する人はまだまだ多いと私は感じている。企業やスポーツ界でのパワハラ、学校での体罰が報じられるたび、「自分は厳しく指導されたおかげで大きく成長できた」といった類の擁護論が必ず湧き起こるのは、その現れだろう。「親分・子分」的な人間関係を好み、そういう関係性を周囲に強いる人も数多く見てきた。
どこまで行っても平行な、しかし離れることもない2本のレール
JR西の元幹部が語ったように「とても近代組織とは言えない」組織に変革を求めたのが、遺族の淺野氏だった。彼は都市計画の専門家で、災害や公害の現場に生きてきた「対話」の人だ。『軌道』という題名には、その淺野氏や山崎氏、国鉄~JR西日本、さらには戦後日本など、さまざまな来歴の意を込めたつもりだが、別の知人からはこんな指摘を受けた。
「淺野氏と井手氏という決して交わることのない二人を本作では描いたのではありませんか。その意味で、軌道とはなんと見事なタイトルでしょう」
なるほど、軌道とは、どこまで行っても平行な、しかし離れることもない2本のレールでできている。自分が記録したかったのは、そんな社会のありようだったのかもしれないと、そのメールに気づかされた。