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「天皇」の人心掌握術

 ただ、安全思想を別にすれば、井手氏の経営手腕や人間性を称える声はいまだに多い。「並の官僚とは違う」「誰よりも現場を熟知していた」「井手さんがいなければ、そもそもうちはこれほどの会社になっていない」……と、そんな声をたびたび聞いた。縁切り宣言をした山崎氏ですら、「功罪で言えば、功績の方が大きい」と私の取材に語ったほどだ。

2005年4月25日に起きた福知山線脱線事故の現場 ©共同通信社

 ワンマン経営の創業社長のようなものだろう、と本には書いた。圧倒的な権威と手腕と厳しさを見せつける半面、ひとたび反省し、忠誠を誓った者には鷹揚に接し、労うことも忘れなかった。ある元幹部からこんな話を聞いた。

 しょっちゅう現場視察をしていた井手氏は、たとえば駅の表示や客対応の悪さを見つけると、駅長をその場で叱責する。「天皇」に怒鳴り上げられた駅長は震え上がる。そうして、ともかく言われたとおりに改善し、本社へ報告に上がる。井手氏に直接詫びを入れる。すると彼は一転、「そうか、素早い対応だったな。これからも頑張ってくれ。しっかり見ているからな」と労いの言葉をかける。駅長は感激し、井手氏に心酔するようになる。

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「井手さんのカリスマ性だけが高まる」

 元幹部は、これを井手氏らしい人心掌握術だと言う。

「一対一の関係でやるんですよ。本来なら管轄の支社長を通じ、然るべき部署に指示して改善させる。そうすることで、その駅で起こった問題が組織の中で共有され、改善策が体系的に整備される。だけど個人間のやり取りにするから組織全体に広がらず、一方で井手さんのカリスマ性だけが高まる。とても近代的組織とは言えない」

 今も井手氏と親交があるという事故当時の労組幹部(会社に親和的な最大組合)からも同様のエピソードを聞いた。もっとも、その元労組幹部は、こうしたやり方を「井手さん流の現場主義」と高く評価する文脈で語ったのだが。

2005年、脱線事故現場を訪れ、犠牲者の冥福を祈るJR西日本の井手正敬相談役(当時)

 正直に言えば、事故遺族の思いを背負って彼と相対した私自身、ある意味で好印象を抱いた。語っている内容にはとても共感できないが、彼は本音を臆することなく、堂々と語った。取材の終わりには、「自分の発言には責任を持つ。あなたがどう受け取っても、いくら悪く書かれても構わない」と言った。「並の官僚とは違う」という世評の通りだと感じた。

 問題は、ではなぜ遺族の前で、あるいは、記者会見などで世間に向けて、それをしなかったのかということだが、そこは本で読んでいただければありがたい。井手氏の言い分に理があると思うか否かは読者次第だ。