岸田文雄首相が8月14日、9月の自民党総裁選に出馬しない考えを表明した。自民党政権への不信感が高まっている中、歴史から何を学ぶことができるか。評論家・保阪正康氏が、岸田政権の問題点と政党政治の系譜について読み解いた。

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自民党に政治を託すことに懐疑を深めている

 政権与党への顕著な逆風は、個々の政治家の力量への低評価というよりも、自民党そのものへの強い不信や怒りによって巻き起こっていると言うべきである。それは当然のことながら、長期間にわたって組織的な裏金問題が存在してきた事実と、その背後に政権与党の構造的な腐敗が見えること、さらに、抱え込んだそれらの問題を自己切開して責任を明らかにすべきなのに、それがいっこうに進まない体たらくを国民が見て、いまの自民党に日本の政治を託すことに懐疑を深めているということなのであろう。

岸田文雄首相 ©時事通信社

 さらに、世界の情勢を見ても、国民一人ひとりの暮らしから考えても、いまの岸田政権の政治姿勢に、信頼度が高まる要素を見出しにくいことも指摘しなければならない。

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アメリカへの「自発的隷従」

 前回、私は、4月に岸田首相がアメリカ議会上下両院合同会議で行った演説を分析したが、アメリカの議会に赴いて、アメリカへの従属を良きものとして過剰に主張する岸田首相の言動を、16世紀フランスの人文主義者、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従」という、いささか強い言葉で批判した。

保阪正康氏 ©文藝春秋

 これは単純な反米主義から言うのではない。岸田政権が進めている防衛費倍増、敵基地攻撃能力保有、アメリカ指揮下の日米指揮統制システム構築などを注視していると、日米同盟を基軸にしながらもアジアを中心とする多国間の協調によって外交バランスを取ろうとした、かつての石橋湛山らの志向からの変質は明らかである。近現代史において、一貫してアメリカの圧倒的な影響下におかれざるを得なかった日本の運命を凝視して、「対米従属」を「自主独立」へと少しずつでも転換していこうとする志など、いまや完全に放棄されてしまったように見える。

 ウクライナ戦争、ガザ危機など、いま戦争が世界を覆っているが、停戦と平和構築に向けて、日本はほとんど役割を担えていない。アメリカの指示に従うことに汲々とするばかりで、自らの経験に基づく戦争についての識見を示すことすらできない。このような哲学なき国家を次世代に託すことに、私は恥ずかしさを覚えるのである。

 国民生活に目線を移してみると、岸田政権は「物価高を上回る所得増へ」などというスローガンを掲げはしている。だが、実質賃金は24カ月連続で減少し続けているというから、物価高対策も賃上げ実現も奏功しておらず、現実的には無策とみなされても仕方ないだろう。

 また、「防災・減災・国土強靭化の推進」を重要政策として打ち出しているものの、今年の元日に発生した能登半島地震への対応では、初動においても、その後の被災者支援、被災地の復興についても、様々な専門家が遅滞や手薄を指摘している。もちろん自然災害は、人知や人為がたやすく及ばない苛酷な緊急事態であるわけだが、そこでこそ非常時のリーダーシップが問われるのである。

「歴史の教訓」に学ばない

 阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震など、様々な災害とその都度の政府対応を取材してきたジャーナリストの鈴木哲夫は、その著『シン・防災論―「政治の人災」を繰り返さないための完全マニュアル』(発行・日刊現代、発売・講談社、2024年)のなかで、能登半島地震の被害によっていまだ4000人を超える市民が避難所に身を寄せ、3000戸以上で断水が続く(5月時点)といった状況を描き出しながら、岸田政権を批判して、次のように言う。

《復興対策が遅々として進まない理由は「工事の難航や法律の壁など」(石川県担当部局)というが、ならば知恵を絞って専門業者を集め、国の予算を集中的に投入すればいい。法律を変えればいい。(中略)災害時こそ政治決断や現場主義が必要なのに、それが足りないという過去の災害対策と同じ経過を辿っている》

 鈴木は、自然災害に際して岸田政権のリーダーシップが機能していないことを憂え、その大きな理由の一つとして、過去の災害対策で積み重ねられた様々な成功例や失敗例という「歴史の教訓」に学ばない姿勢を挙げている。これは災害対策に留まらず、現政権の本質を突く評言とみなすべきだと私には思われる。