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栄一の孫・鮫島(さめじま)純子(すみこ)は、その著書『祖父・渋沢栄一に学んだこと』にて父親の正雄が栄一の四男で「栄一と後妻兼子の三番目の男の子」と記し、「兼子は結婚後、流産、新生児夭折が続き」、正雄の兄武之助が「三男」だと記している。「新生児夭折」が敬三郎なのであろう。

ちなみに、筆者は渋沢栄一の曾孫(渋沢姓ではない)にお目に掛かったことがあるのだが、その方によれば、6男4女のうち、早世していない7人の子女の末裔を「一族会」のメンバーとしているそうだ。

女好きで知られ、正妻以外にも3男4女以上、子が生まれた

栄一には公式のお子さん以外に、庶腹の子どもが数人存在した。

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中でも有名であるのが、第一銀行の「プリンス」として頭取に推され、三菱銀行との合併失敗で辞任を余儀なくされた長谷川重三郎(じゅうざぶろう)である。かれは栄一の13番目の子どもだったから、「十三」をもじって重三郎と命名されたといわれている。その弟・藤四郎は「十四」をもじった名前だという。

少なくとも下記の7人が栄一の子どもだといわれている。

娘・尾高ふみ (1871生まれ) 尾高次郎の妻
娘・大川てる (1875~1927年) 大川平三郎の妻
息子・星野辰雄 (1892生まれ) 星野錫(せき)の養子
娘・安本つる (1897生まれ) 星野錫の養子、安本明治郎の妻
娘・川崎まつ (1900生まれ) 星野錫の養子、川崎甲子男(きねお)の妻
息子・長谷川重三郎(1908~1985年) 公的には長谷川元の子
息子・伊藤藤四郎 (生没年不詳)

68歳でも子どもができ「若気の至りで」と言い訳した

栄一は還暦を過ぎてから子どもができてしまい。思わず「若気(わかげ)の至りで」と語ったとか……。長谷川重三郎は栄一が68歳の時に生まれているので、彼がその子どもなのかも知れない。

ふみ、てるの母、大内くには、NHK大河ドラマ『青天を衝け』にも登場し、妻妾同衾(さいしょうどうきん)、つまり同じ屋敷に妻と愛人が住む様子は、ちょっとした驚きを持って受けとめられた。