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挙げ句に、俊太郎は花柳界に安らぎを求めた――あれ? お金がないんじゃないの――そして、1915年に芸者と心中事件を起こしてしまうのである。俊太郎は一命を取り止めるが、芸者は死亡。

北里柴三郎は落胆し、公職を全て辞した。そして、柴三郎の死後、遺族は襲爵手続きを取らず、男爵の栄誉は柴三郎一代で終わってしまったのである(千田稔『華族事件録』)。

渋沢栄一も、北里柴三郎も期待をかけた嫡男のスキャンダルには手を焼いた。没後100年近く経っても功績を称えられ、お札の顔になるほどの偉人でも、子育てはままならないのだという、ひとつの教訓と言えるかもしれない。

菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。