「励ました直後に血を吐いた」父・母・妹を失った12歳の生存者の証言
さらに事故から1週間後の8月19日には4人の生存者のうちの1人で、12歳の中学1年生の川上慶子=島根県簸川郡大社町(現・出雲市)=のインタビューも入院先の国立高崎病院(現・高崎総合医療センター)の看護婦長を通じて行われた。
落合由美のインタビューと違ってテレビカメラが病室内に入って映像を撮った。川上は生存者のなかで症状が一番軽く、時折笑顔を見せながら話していたが、それでも左前腕を骨折し、右前腕の筋肉も切断して神経が麻痺していた。右腕には痛々しく添え板があてられていた。
川上の座席は機体最後部の60Dだった。いっしょに乗っていた父(41)と母(39)、それに小学1年生の妹の咲子ちゃん(7)を失っている。見舞いの親類に「墜落直後は父と咲子が生きていた。咲子に『帰ったら私と兄とおばあちゃんの4人で仲良く暮らそうね』と励ましたその直後に血を吐いた」と語ったことなどがすでに報じられていた。
「『バリッ』といって穴があいた」
――「バーン」という音がしたとき、飛行機のなかで何が起こったの?
「左後ろの壁、上の天井の方が『バリッ』といって穴があいた。いっしょに白い煙みたいなものが前から入ってきた」
――そのとき何か考えましたか?
「怖かった。何も考えなかった」
――シートベルトはしていたの?
「したままだった」
――落ちて最初に気付いたときの様子は?
「真っ暗で何も見えなかった」
――お父さん、お母さん、妹の咲子ちゃんのことは覚えている?
「咲子とお父さんは大丈夫だったみたい。お母さんは最初から声が聞こえなかった」
――明るくなって見たのはなに?
「木とか太陽が差し込んできた。それに、寝転がったみたいになっていたから、目の前にネジのような大きなものが見えた」
――ほかに何も見えなかった?
「隣に何かタオルみたいなものが見えて、お父さんが冷たくなっていた。左手が届いたので触ったの」
――助けられたときは何を思った?
「お父さんたち、大丈夫だったかなあとか」
――ヘリコプターでつり上げられるときの気持ちは?
「出されるときね。妹の咲子がベルトで縛られているところが見えたから『大丈夫かな』と思った」