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4名とも墜落激突時に発生した強度の衝撃によって…

 以上が生存者4人の証言である。計524人(乗客509人、乗員15人)中、助かったのはわずかこの4人だけだった。0.76%の生存確率である。墜落事故から2年後の1987年6月19日に公表された運輸省航空事故調査委員会の事故調査報告書のなかにある「生存者の受傷の状況」の項目(24ページ)にはこう記されている。

〈生存者は乗客4名(全員女性)のみであり、いずれも機体後部の座席列番号54から60、左側及び中央部の座席に着席していた〉

 日航123便(JA8119号機)は最初に1本カラマツ(仮称)とU字溝(同)に接触して機体に残っていた垂直尾翼や水平尾翼、エンジンなどを落とした後、機首と右主翼を下に向けた状態で機首から山肌に墜落した。機体後部は墜落の衝撃で分離し、スゲノ沢第3支流側の斜面を滑り落ちた。

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〈4名とも墜落激突時に発生した強度の衝撃によって部位の相違はみられるが骨折が認められ、程度の差はあるが外傷性ショックに陥っており、全治2箇月から6箇月の重傷であった〉

墜落現場は11時間たってもくすぶり続けた =1985年8月13日午前5時40分、群馬県上野村の御巣鷹の尾根(写真提供・産経新聞)

4名はなぜ助かったのか

 4人が奇跡的に助かった理由について調査報告書は「乗客・乗組員の死傷についての解析」の項目(121~122ページ)のなかで、〈4名とも後部胴体の後方に着座しており、数10G程度の衝撃を受けたものと考えられるが、衝突時の着座姿勢、ベルトの締め方、座席の損壊、人体に接した周囲の物体の状況等がたまたま衝撃を和らげる状況であったために、また、床、座席、ギャレイ等の胴体内部の飛散物との衝突という災害を受けることが少なかったこともあって、奇跡的に生還し得たものと考えられる〉と分析している。