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 OSOの駆除現場から林道を海岸線に向かって進んでいくと右側に小川が流れ、その左右をトドマツに囲まれたエゾシカにとっては、住み心地の良い場所が広がっている。

エゾシカ。写真はイメージ ©getty

 不法投棄場所はその一角にあった。

 実際に我々のNPOのメンバーがエゾシカの猟期中にこの場所をたまたま訪れ、不届きな狩猟者による不法投棄の現場を目撃している。そこには背中からロースをはぎ取られた無残な姿で横たわるエゾシカの死体が積まれていたという。

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 その場所は、OSOが駆除された現場から、わずか1kmほどしか離れていない。

 さらに言うと、私が独自に発見した違法な括り罠の設置場所ともほど近い。

 それにしても、あれほど人間を警戒し、4年間に亘って追跡の手をかわし続けてOSO18が、なぜかくも呆気ない最期を迎えたのか。

OSO18の最期

 駆除後に判明した様々な事実が意味するところを踏まえて、そのラストシーンに至るまでの物語を描くとすれば、次のようなものだったのではないか。

〈あの場所に行けば、いつでも美味いエゾシカの肉にありつける〉

 森の中にいくつかエゾシカの不法投棄場所を見つけたOSOにとって、そこはまさに「レストラン」であった。山菜やドングリなどの木の実をとるよりも簡単に肉を食えるため、いつしかOSOは肉以外のものを口にしなくなっていた。

 5歳になったある日、OSOは牛の肉を口にする。放牧中に自然死した牛の死体を食べたのか、それとも最初は好奇心で牛を襲ったのかはわからない。

 いずれにしろ、それは、エゾシカよりもはるかに美味だったに違いない。

 草木類や果実が見つけにくくなる夏場、牧場にさえいけばいくらでも襲えて、しかもエゾシカほど俊敏ではない牛は、OSOにとって貴重なご馳走となった。

 だが襲撃を繰り返すうちに人間側の警戒も強まり、ついには追跡の手がすぐ近くにまで及び始める。以前のように一週間、二週間という短い周期で連続して襲うことは難しくなっていった。

 襲撃を初めてから5年目となる2023年。

 OSOは6月24日に一頭の子牛を襲ったものの、背中の肉を食べたところで、人の気配を感じて逃げ出した。一週間後に現場に戻ったものの牛の死体は既に分解が始まっており、左脚をかじりとるのがやっとだった。

 さらにこの年は、OSOの「狩場」に巨大なクマが集まるようになり、OSOは追い出されるようにして、「狩場」を去らざるを得なかった。

 向かった先は、一番楽にエゾシカの肉が手に入る上尾幌の「レストラン」、そしてもう一つの「レストラン」があるオタクパウシだった。