66頭の牛を襲い、人間社会を恐怖に陥れた凶悪熊「OSO18」があっけない最期を迎えた理由とは…? 「怪物ヒグマ」と呼ばれたOSO18と人間との戦いを描いたノンフィクション『OSO18を追え “怪物ヒグマ”との闘い560日』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

OSO18のあっけない最期とは…? 写真はイメージ ©getty

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OSO18に何が起きたのか?

 改めて2023年6月24日のOSOによる最後の襲撃から駆除されるまでの経緯をまとめると以下のようになる。

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 既に述べた通り、我々が駆除を許可されているのは標茶町と厚岸町であり、今回OSOが現れ駆除された釧路町は許可の範囲外にある。

 オスのヒグマは一日に10km以上移動することもあるので、標茶・厚岸両町から40~50kmの釧路町に現れたこと自体は、ありえないことではない。

 だが、なぜOSOはこの夏、これまでの「狩場」であった標茶・厚岸から離れたのであろうか。

 その理由は2023年以降のOSOの動きを時系列で整理すると、うっすらと見えてくる。


6月24日 標茶町上茶安別の牧場で生後14カ月の乳牛が背中の肉を食われ、死亡。
同25日 前日の襲撃地点から南に10km離れた標茶町の町有林のセンサーカメラに木に背中をこすりつけるOSOの鮮明な姿が初めて捉えられる。
7月1日 上茶安別の襲撃現場に再びOSOが現れる。
7月14日 阿歴内から上尾幌方面へと向かうOSOの足跡を発見。
7月30日 OSO18駆除。

 この年は、OSOの出没が予測された阿歴内から中茶安別のエリアのトレイルカメラにOSOを上回る大型のヒグマが多数映ったことは既に述べた。クマは自分より大きいクマは基本的に避けようとする。OSOはこれらの大型のクマを避けたのか、この年最初の──結果的に最後となった──襲撃は、6月24日、中茶安別の手前の上茶安別で起きた。

 同25日に襲撃現場の南方10km地点で一種のマーキング行動の“背こすり”をしている姿を撮影され、7月1日に上茶安別の襲撃現場に戻ってくる。

 そこで我々が仕掛けた括り罠を間一髪で回避した後、最後に上尾幌方面へと向かう足跡が確認されたのが7月14日ということになる。

 位置関係としては、北から上茶安別—中茶安別—阿歴内—上尾幌となっており、OSOは大型クマが多数いる〈中茶安別から阿歴内〉エリアをスルーするようにして一気に南に下ったことになる。

エゾシカ不法投棄の闇

 なぜOSOは釧路町オタクパウシに現れたのか。

 後にわかったことだが、実はオタクパウシには上尾幌と同じようなエゾシカの不法投棄場所が存在していたのである。