「あなたのために、よかれと思って」していたことが、妻への“加害”だったと気づいた中川瑛さん。妻との関係を改善した後に、かつての自分と同じ加害者が変わるための支援をする自助団体「G.A.D.H.A(ガドハ)」を立ち上げ、“モラハラ”加害者の変容を描いたコミック『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』(KADOKAWA)では、原作者を務めている。

 この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、中川さんの半生と「トラウマ」、そして中川さんに起きた変化についてのインタビューだ。

 旦木さんは、自著『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)などの取材をするうちに「児童虐待やDV、ハラスメントなどが起こる背景に、加害者の過去のトラウマが影響しているのでは」と気づいたという。

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 親から負の影響を受けて育ち、自らも「毒親」となってしまう「トラウマの連鎖」こそが、現代を生きる人々の「生きづらさ」の大きな要因のひとつではないか。そんな仮説のもと、加害的な親のもとから家出した中川さんが、自身の結婚で直面した問題に迫る。(全3回の2回目/最初から読む

中川瑛さん 本人提供

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家出後、現実を目の当たりにして…

 家族に探されても見つからないよう、何のつてもない土地を選んで家出をした中川さんは、ゼロから人間関係を築き、英語の能力を活かして働くことで生計を立てた。そうした生活の中で、家出少年や少女、貧困や虐待を受けた子どもたちと出会う。

「僕は貧しい家に生まれたために才能を潰されてしまったと思っていましたが、この子たちのほうがもっと貧しいし、もっと恵まれていないじゃないか……」

 現実を目の当たりにして愕然とする。

 そして2011年3月11日。東日本大震災が起こった。

「子どもたちの貧困問題を何とかするためにも、やっぱり大学に行こうと思い始めていたときに震災がありました。家出少年の中に岩手出身の子がいて、『両親なんて大嫌いだ』って言っていたのに、親が石巻市役所(宮城県)の近くで働いていたらしくて、津波の動画を見てめちゃくちゃ泣いていたんです。それを見て『そろそろ親に生きてることくらいは伝えようかな』と思って連絡し、『大学受験したいから帰るわ』と言って家に戻りました」

 ほとんど2年ぶりに家に帰った中川さんは、ろくに受験勉強ができないまま大学受験に挑み、中央大学法学部に入学。再び親元を離れて上京し、一人暮らしを始めた。