数日前の無礼を謝るためハオに電話をしてみると、意外にも彼は「娘のことを話せず、ごめんなさい」と詫びた。意を決して「また店に行きたい」と言ってみる。と、彼はすんなり受け入れてくれた。むろん、その場でリンのことは触れず。
「リンがいちばん大好きだったのが、この…」
その日、ハオは店でメニューの貼り替え作業をしていた。
「今日は新しいメニューと値段を変更しました。みなさんとお店の両方が喜ぶことができるようにしないと良くないと思う」
店は自分が見る限り好調のように思える。が、「自分だけが儲かるのは申し訳ない」とハオは言う。彼の人柄が表れている。
貼り替えは終わり、真新しくなった壁を見つめ、ハオは呟く。
「この春巻きは、よくリンと妻が一緒に作ったものですね。で、リンがいちばん大好きだったのが、このマンゴーのスムージー」
娘の取材は受けないと言っていたハオが期せずして語り出した。
「もしお店のオープンのときにリンもいたら、いちばんいいなと思った。想定できなかったですね、リンが3年生のままいなくなるなんて……」
メニュー一つとっても、娘と過ごした思い出が込められているのだ。そして、自分を鼓舞しながらも、決して逡巡することなく前言を翻す。
「リンに関する取材、もう一度受けようと思います。これで最後になると思います。事件のことを思い出したくない、でも自分たち家族は前に進んでいかなければならない。だから私たち家族の今と一緒に記録してください」
ハオは事件後、リンが残した作文などを辞書を片手に繰り返し読んだそうだ。その中には日本の友達にベトナムを紹介する文章もあったという。
「リンがやりたいことは、ベトナムの料理や文化を日本に紹介することだったから。だから自分が何かできるかを考えて、これからもやっていきたいなと思っています」
〈日本とベトナムをつなぐ架け橋になりたい〉
ベトナム料理店『ハーグェン』を開いたのも、リンの言葉があったからこそだ。
高裁での判決後、ハオは言った。
「最高裁が最後の望みだったので、検察にはどうしても上告してほしかった。いまはリンに何と報告してよいか、今後どうしたらよいのか、わかりません」
渋谷が死刑にはならないことが確定した現在、ハオは毎月24日の月命日に、ピンクの祠に手を合わせ続けている。
「これからは家族でこのお店を守っていくことが目標です。リンもそれを望んでいると思います。だから、もう少し日本で頑張ります」