「リンちゃんを殺害した犯人に対して極刑を望みます」――2017年、愛する娘(当時9歳)を殺され、犯人を死刑にするために135万筆の署名を集めたベトナム人のハオさん。それでも判決はくつがえらず、無期懲役。「日本の法律は何なんだと思った」と憤り、生活をも犠牲にして闘ってきた彼はその後、どんな人生を生きたのか? 事件後の家族や加害者を追った高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「日影のこえ」による新刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む

亡くなったレェ・ティ・ニャット・リンさん(写真:筆者提供)

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リンに何と報告してよいか、わかりません

 殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われた渋谷の裁判は進み、2021年3月23日、高裁でも控訴は棄却され無期懲役が言い渡される。当然、死刑を願い続けていた遺族は憤ったが、判例からして無期懲役も当然と言える。正論を突きつけられ、父ハオは何を思うのか。

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 そんなとき、記者仲間から思いがけない情報が飛び込んできた。

「ハオさんが千葉でベトナム料理のお店を開くらしいよ」

 驚いた。リンをベトナムに埋葬していた彼は、裁判が終わったら日本を見限り家族でベトナムに帰るのだろうと思っていたが、この地に留まるというのだ。ハオがオープンしたのは新京成線の元山駅前の『ハーグェン』というベトナム料理店。私はすぐに同店を訪れ、開店祝いの心ばかりの花を手にハオを直撃した。

「私にとっては、リンを殺害した犯人は渋谷恭正です。残虐な犯人。反省もしないし公開処刑もできないし。人間性を持ってないですね。人間性を持っていないので、人間世界にいないほうがいいと思います。だからこの世から消えてほしいですね」

 彼は事件発生以来、ずっと極刑を求め続けていた。その思いを完遂するために、苦手な日本語を勉強し、自ら駅前に立ち、時にはインターネットを通じ日本だけでなく母国ベトナムでも、死刑を求める署名活動に邁進していた。

 それは、一審での無期懲役判決に驚き「ならば自分が仇を討ってやる」との思いからだった。街頭に立ち、「リンちゃんを殺害した犯人に対して極刑を望みます。千葉県に住んでいる方、全ての日本国民のみなさま、私はリンちゃんの父です」と覚えたての日本語で繰り返した。ハオの活動は多くの共感を呼び、135万筆もの署名が寄せられた。

 ハオは、殺害には計画性がなく無期懲役が相当だとした高裁の判決後も上告を直訴する。だが、検察は上告せず、事実上、渋谷に死刑判決が出されることはなくなった。

「日本の法律は何なんだと思った」

 ハオは事件発生からほどなく、勤めていた会社を辞め、千葉地裁の判決2ヶ月後に職場に復帰したものの、2020年8月頃にまた仕事を辞めている。精神的に、どうしても働けなかったという。ハオは生活をも犠牲にして闘ってきたのだ。

「渋谷恭正はどうしても許すことができないです。それ以外の(日本の)人はリンの事件に関係ない方だったら、もちろん関係ないと思います。良い人もたくさんいます。事件後に助けてくれた日本人もたくさんいます。でも、今後リンの取材は受けません」

 日本の司法は、納得はいかないまでも受け入れる。でも、リンの死だけは受け入れられていない。だから「これ以上は踏み込んできてほしくない」との明確な意思表示だ。

 彼の想いを汲み取った私は自分の無神経さを恥じ、質問を重ねることをやめた。

 事件について語りたい人もいれば、忘れるため一切語らない人もいる。被害者遺族として生きるのであれば、どちらがいいのか。正解はない。どちらを選択しても遺族に光など差しはしない。ただし、何かを話したくなったとき、私に何ができるのか。