薬師丸自身は育ったのが東京・青山だけに、友達の父親がアイドルのディレクターだったり周囲にショービジネスに関わる人も、実際にスターを目にする機会も多く、自分が芸能界で務まるとはとうてい思えなかった。だが、『野性の証明』で彼女はみごとに人々に存在感を印象づけた。
それでも本人は両親ともどもこれきりでやめるつもりで、オーディションの賞金100万円もすべて関係者へのお礼の品に変えていた。それがもう少し続けてみようと思ったのは、高校に入る直前、初の主演映画となる『翔んだカップル』(1980年)の監督の相米慎二と会い、《映画って思ってるような派手なことじゃないぞと思い始めたんですね。アイドルとかスターになるとかではなく、ものを創るところに吸い込まれていくような気がした》からだという(『週刊文春』2005年12月8日号)。
「裸になってさらけ出すことなんだ」相米監督に教わったこと
相米とは『ねらわれた学園』(大林宣彦監督、1981年)を挟んで同年の『セーラー服と機関銃』で再び組んで、人気を不動のものとした。その指導は厳しく、罵声が飛ぶこともしょっちゅうであったが、とにかく根性でついていったという。それでも彼女は相米について《本当に自分の恩人だと思っています。演じるということは本当に裸になってさらけ出すことなんだということの、恐さと厳しさを教えてもらいました》とのちに語っている(『キネマ旬報』2005年11月上旬号)。
『セーラー服と機関銃』では、クライマックスで薬師丸が機関銃を連射しながら「カ・イ・カ・ン」とつぶやくシーンが語り草である。そこで彼女は、火薬で破裂させて飛び散ったガラス片で左頬から血が吹き出すも、ひるまず銃を撃ち続け、迫真の演技を見せた。